日本の司法制度

福岡の3児死亡事件の 高裁判決が出た。
事故は2006年8月に福岡市の「海の中道大橋」で発生。
飲酒して運転していた被告の乗用車が追突し、被害車は橋の欄干を突き破って博多湾に転落し、幼児3人が死亡した飲酒運転追突事故である。

一審判決は「危険運転」と判断せず、
   「業務上過失致死傷罪」として、懲役7年6月にとどめていたが、
福岡高裁判決は「危険運転致死傷罪」を適用して懲役20年とし、
   判決文の中で、一審判決は誤りだ、と断じた。


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よく知られるとおり、飲酒無謀運転、轢き逃げ、などの事故の多発
  それらの加害者が捕まっても呆れるばかりの量刑の軽さ
     に世論が激高する中で、
流石に日本の司法当局も放置できずに、「危険運転致死傷罪」を作った。

然し、法律は作ったものの、それを適用する事は極めて稀で、
何のために作ったのか、その意義が無いのが実情であった。
交通事故に限らず、 そうした
非常識な裁判の姿に世論が怒り、批判が盛り上がる中で、
司法当局が、(格好を付けて)、市民の意見を取り入れるため、と称して、
  「裁判員制度」、なるものを、こっそりと造った。


大多数の国民が知らないうちに造られた、その「裁判員制度」の実施時期が近付き、
多くの国民がそれを知って猛反発するようになった今の時期に、
今回の高裁判決が出たのだ。
 此処で私の感想を述べる。

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 「裁判員制度」はこっそりと作ったのでなく、国会で公開の場で決めた事、
  と司法当局は弁解するに違いない。
確かに、沖縄返還交渉のように内緒話で決めた事ではない。
が、このような大きな影響のある法制度の変革が行なわれることを、
国民の90%以上が、極めて最近まで知らなかったのは事実である。
尤も、これには司法当局だけでなく、 マスコミも責任がある。

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 若しも本当に司法当局が誠実ならば、
   一審の裁判官を断罪・処罰しなければならない。
 高裁の判決文の中で、一審判決は誤りだと断じているのだから。

司法関係以外は、どの様な公務員であっても、
  その職務行為が誤りであると認められると処罰が下される。
今回の高裁判決には多くの国民が拍手喝采しているのだから、

非常識な判決を出した一審裁判官には
  今後、裁判官の仕事をして貰いたくない。

司法が国民の信頼を獲得する為の最も有効な方法は

  誤りを犯した裁判官を処罰することであって、
  多忙な民間人を仕事を放置して裁判所に行かせ、
  裁判員として働かせる事ではない。


若しも、今回の事件が非常に法的に難しい問題を含んでいて、
法務一筋に生きてきた専門家の裁判官でも、危険運転致死罪の適用は司法判断も分かれるような難題なのだとするならば、
なおのこと、裁判員制度で、市民に司法判断の難題に答えを求めるのは間違っている。

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 昨年末の経済危機以来、
 「最近一世紀ほどの人類の歩みは果たして正しかったのか」、
 「自由主義というものが本当に人類のために好ましい選択なのか」、
の議論が活発に行なわれるようになった。
 暫く前までは、その様な発言は無視されるか、顰蹙を買って非常識扱いをされたのが、大転換を遂げたわけである。

私自身は、4年前([05/4/12])に、
 {▲人類滅亡論[3]自然科学の進歩による滅亡: [C-4]}、      を書いたように、
21世紀以降も人類は生き延びられるだろうかと、以前から不安だった。


科学技術を進歩させ、現在の文明を造ってしまったことは、
 人類が自分の頭脳には不似合いな手足を獲得したこと
になるので、
 極めて危険な状態なのではないか、とずっと思っている。

手足が強力でも、それを動かす指令を出す頭脳がシッカリしていれば、問題を生じない。
一度くらい間違えて怪我をしても、それを反省して以後を慎む頭脳が有れば、大事を生じない。
しかし、何回怪我をしても、其処から学習する能力が無ければ、その内に致命的な事態を生じる。

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 現在の司法制度を作り、大岡越前守流の裁判を止めたのは、ある意味で以前よりも進歩したように受け止められてきた。
丁度、自由主義経済が過去百年間、素晴らしいものと受け止められてきたのと同様である。
しかし、現行司法制度にしても、自由主義経済体制にしても、
それは強力な手足やマンモスの牙の様なモノであって、
それを運営する頭脳部分が壊れていては却って危険な道具である。

本日、このようなことをまた考えたのは、
本日の高裁判決をこれだけ国民が歓迎しているのに、
司法当局もマスコミも、上記のような、
一審裁判官の処罰とか、裁判員制度との関わりの論理を論じていない
のを、不審に思うからである。
マスコミは、裁判員制度が発足して民間人がこの様な判断を求められたらどうするか、等とは書くが、
裁判員制度そのものがどの様に生まれ、どの様な問題を含むか、
を論じていないからである。

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 ▲感度の有無(7):小泉内閣:[C-136], に書いたように、
私の様な技術者は、日本では法科系の人間が支配していることに、毎度、苛立ちを覚える。
いずれ長い時間の後、将来には人類は進歩して、現状を脱却するようになるだろう。

丁度、 1000年ほど前には真面目な顔で、「もったいぶった議論」、
  をしていたのを、漸く現在では、「神学論争」、といって、
  馬鹿馬鹿しい昔話として、この様な時代もあった、
      と笑い話になったように、
いずれは工学的手法で社会が動く日が来る
、と思っている。
 
特に、日本という国は、「論理不感症」の総理大臣を選出する社会体制を造ってしまったのだから、不安である。


 [註]:これまでに書いた、人間の感度の関係記事は
感度の有無(7):小泉内閣
の文末に、リストアップしておいた。
それらの内、今回の問題に直結するものは、以下の記事である。

  ▲[C-111]: 耐震強度偽装問題
  ▲[C-112]:道路交通事故多発の原因
  ▲[C-130]:感度の有無(4)民主主義
  ▲[C-132]:感度の有無(6) O電鉄・バス

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