仲間の出合った人達:(4) ホロニャック

★素晴らしい人との出会いを無駄にした経験を、全員が持っている、と書きながら、 このシリーズの冒頭から、Y君の失敗談ばかりを連続して紹介しているのは、少々気の毒でもあるが、ついでだから、更にもう一件、Y君のドジの話を紹介する。
現在のエレクトロニクス機器で、当然の様に使用されている光技術の実用化の一つの契機は、半導体レーザーの発明であった。 若しこれが無かったならば、現在の我々の身辺の状況は随分と違ったものであるに相違ない。

その半導体レーザーの発明者が,ホロニャックである。
ホロニャックはその発明の時点でも、既に業界では良く知られた研究者であったが、1962年のその成功後は、更に大変に多忙な毎日を過ごしていた筈である。
その頃のある日、Y君はアポイントメントも無しに、ホロニャックを訪れた。
従来の面識は無く、逢って貰える可能性はかなり少ない状況である。
Y君は若しも幸いに一分間でも面会が許されたならば、聞いてみたい話を一つだけ、心中に整理して訪問した。

科学技術上の発明、発見というものは、似た時期に、別な人が別々な場所で独立に、相互に知らないままに、似た着想を抱いて、仕事に取り組んでいる場合が多い。  その事実は、後になって分かることである。
そして、同一の仕事をしても、1年でも、1月でも、いや一日でも、早く、天下に成果を公表した者の栄誉に成る。  他人が公表した後から、俺も同じ事をやっていたと言ってみても、何の役にも立たない。 それで、研究者(グループ)間で激烈な先発権競争が行なわれる。

能力、努力の問題もあるが、実際には、何らかの僥倖に恵まれたグループが、栄冠を手にするという事が良くある。
実際の発明の日付はAの方が早かったのに、成果を発表した学術雑誌の発行日の関係とか、論文の審査委員の運とかで、社会的評価としてはBの発明という事になった、等のことも起る。 (電流のオームの法則、もその一例である)。
栄誉に関するこの種の逸話は、科学史上に非常に多く語られている。
日本人でも菊池正士博士や、高峰博士の例などが良く知られている。

処で、半導体レーザー発明の報告は、米国の3箇所の研究グループが、1962年の12月に、同時に発表をした。
同じ発明の報告を、2箇所から同一の月に、というのは非常に珍しい。  まして、3箇所から同時なんて、前代未聞である。


Y君が若しも幸いにホロニャックと短時間でも面会が出来たならば、聞いてみたい話とは、このことであった。  そして、現実に面会出来た時に、真っ先にぶつけた質問がこの話であった。



★実は、1962年の12月に、同時に発表をした3つの研究グループは、緊密な連絡を取り合って研究を進めていたのであった。
そして、研究が一つの区切りに到達した段階で、示し合わせて一斉に報告論文を書き、学術雑誌に発表をしたのであった。
世間一般の人は、学会雑誌に現れた論文を成果として知るだけだから、その様な研究進行の背景事情は全く分からない。   Y君のような疑問を持つのである。

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Y君の質問にホロニャックは、情熱的に反応した。
そして、驚いた事に、延々2時間余に亘って、詳細克明な話をして貰えたのであった。
ホロニャックは、そもそもこの方面の仕事に着手した経緯から説明を始めた。
フランス人エグラムが米国に訪れて来て、この様な可能性があるという話をしたのが発端であった。
1961年にエグラムが訪米した日から、約一年半の間の出来事を、ホロニャックは一日刻みで話した


3グループの誰某が何月何日にどの様な着想を持ったとか、誰某がそれの実験をした、と一日刻みの話をした。
米国は東海岸と西海岸で3時間の時差がある巨大な国であるが、夜間になると国内の何処に電話をしても、1ドルで通話が出来るので、毎日昼の間に実験をし、考えたことを、夜になると3グループで連絡し、議論して、其処で得たアイデアを次の日に実験してみる、という作業を一年半続けたのである。
何月何日に、西海岸の誰某がこの様なアイデアを出して、次の日に東海岸の誰某がその実験をしてみた。
そして週末にニューヨークに集まって、皆でその結果を検討した・ ・ 、という話を、克明に日付と時間まで含めて、話してくれた。

その日、面会予約も無かった、飛び込みの自分を相手に、一年半の経過を、(それも、数年前のことを)、メモ一つ見ないで話してくれるホロニャックの姿に、Y君は呆れてしまった。

記憶力の良さの問題でないのは、明らかであった。
ホロニャックほどの人物にとっても、この仕事は生涯で一度の充実した思い出で、全ての出来事を克明に記憶して居るのに違いなかった。

我々だって小学校一年の入学式の日に母親に付き添われて登校した場面は記憶している。 同様に、
ホロニャックが、一年半に亘る期間の出来事の全てを、メモ無しで話すということは、その期間の精神的緊張と充実を語っている



何日に誰が電話で何と言ったとか、ニューヨークで見たデータがどうだとか、その全て、これほどの充実した豊かな内容の話を、メモも取らずに聞かされたY君はテープレコーダーを持参していなかった事を、後に大変後悔した。
これを私は、ドジというのである
とは言っても、たった一分間でも良いから、面会して貰えたら、と最初は考えていた状況なのだから、致し方のなかった事ではある。

私はこの話を聞いて、生涯に一度でも、其処まで燃える仕事に取組めたホロニャックという人物に、心からの妬ましさを覚えるのである。
仕事でも、恋愛でも、何でも良い。
人生に於いて、唯一度でも、それだけ燃える時間を持てたということは、素晴らしい事である。

往年の名画、「会議は踊る」で、ロシア皇帝と恋に堕ちた少女の謳う主題歌、「唯一度の」、の場面を想起する。
Das gibt's nur einmal. Denn,jeder Fruhling hat nur einem Mai.

それは、全ての人間に与えられる幸運ではない。
 神様の愛でた人にだけ与えられる僥倖である



後註:
このホロニャックの記事に関連した内容の、「二人のピアニスト」氏の記事
ホロニャックと、枡岡氏(1) :[A-29]
が、トラックバックが入らないとのことなので、付記します。

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