(独り言52)「工学教育について」

 「工学教育について」               80.12.6

★ もう20年以上も昔のことになるが、ソ連が世界最初の人工衛星「スプーコニク」を打ち上げたことは、米国に大きな衝撃を与えた。
このショックで、米国は理工系教育の重視政策をとり、理工系大卒者の待遇をよくする社会的手当てを行った結果、最優秀な人材が理工系学部に集まるようになった。
この段階で、米国の教育は1つの過ちを犯した。 それは、

工学教育において基礎科目を重視すべきだという判断が行き過ぎて、数学と物理だけ教えればよい、というところまで行ってしまったことである。

数年後にこの辺りの反省が行われて、振り子は適正な位置まで戻った。


★ 米国がクシャミをすれば日本がカゼをひく、と言われた頃で、万事米国の影響が極めて強い時代だったし社会的・経済的環境もあって、日本の工業教育も米国の後追いをした。
同世代の学生のうち最優秀な頭脳が理工系に集中し、工学部では数学と物理に重点をおく教育体制が用意された。

ただ、米国の振り子が戻ったとき、日本ではその後追いはなかった。 



★ 日本では米国と違って、大学の教員の流動はほとんどない。
スプートニク・ショックの後に、大学に学部・学科の新設ラッシュが起こった頃に職を得た数学者、物理学者は、日本ではそのまま学科に定着してしまった。   自分の専門とする研究内容を変えることもせぬままに、その後も学科の若手の人事も、同一専門の後進を採る例が多い。
たとえば、学会で半導体物性の研究発表は多いのに、IC、LSIについての発表が少ないことの原因の一端は、こんな所にもある。


★ もちろん、卒業学部が理学部であろうと工学部であろうと、それは本質的ではない。   現在の先端技術は最新の科学と密接に結びついたものであって、多くの場合、どちらの学部出身者でも同様な仕事ができる。
ただ、仕事が分岐点に来たときに、エンジニアリング・スピリットの有無が道を右にとるか左にとるかを分ける。
ここが重要だ。


 工学は本質的にシステム的であり、学際的であり、総合的である。   最終目的が最初から設定されていて、各段階の価値判断がある。
科学は、それ自体が目的であり、価値である。

ここが、いかに優秀な科学者でも、前記スピリットの欠落した人は、工学教育に適しない所以である。

管理のきちんとした大学ではこの辺のバランスのとれた人事運営をしているが、新制大学の中には首を傾げたくなる事例も多い。
時には大学自治というものの限界さえ疑いたくなる。 



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註記:「私の独り言{前置き[1]}:2005/4/21」に述べた理由で、このシリーズの記事を多数並べているが、これらの中で筆者として最もお読み戴きたいのは、次の2編です。
◎[11]私の独り言{明治生まれ:1979/5/26}[2005/7/6]
◎[9]私の独り言{血税の使い方:1978/4/5}:[2005/07/04]
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