(独り言27)定年制

定年制                        79.2.8

★ マンモス私大の有る学生町に転居してきて、気付いたことがある。
歩道を向こうから歩いてくる若者たちが道をよけない。 このままではぶつかる、と思って進路を変えるのは、いつもこちらである。 なんども同様な経験をするうちに、しだいに腹が立ってきた。
よし、こんどはぶつかってもよいから避けないぞ、と腹を決め、目をつぶって直進する。
と、これがぶつからない。


観察していると、その勝手な奴等同士では、さぞや衝突ばかりしているかと思うと、そうではない。
 これは、衝突を見越して進路を変える地点が、私は3メートルくらいの距離なのに、彼らは1メートルくらいなのである。
彼らは彼らでルールがあって、混乱は起きていない。
近ごろの私は、自分が生きるに適した時代は過ぎ去った、ような気がする


★ 次のような話を聞いた。
交通手段が馬車から自動車に移ったとき、馬丁が運転手になったのではない。 馬丁が経験のないものが運転をおぼえた。
駕籠から人力車への移行も動揺であった、と。
また量子論で有名なプランクの説によると、物理の新しい理論は、古い理論の信奏者たちを説得することによってでなく、彼らが死に絶えることにより受け入れられるようになるのだという


★ 現代は数十年間にわたる馬車の時代が終わりつつあり、街には馬車と自動車が共存している。 そして、自分は最後の馬丁だ、と考えてみる

 すると、いろいろな事がよく分る。 たとえば、30年も年長の先輩とでも話が通じるのに、十年若い人たちとは言葉が通じないのも、馬丁と運転手の差のため、と納得できる。

大学生はおろか、30代の社会人が、乗り物の中で劇画雑誌を拡げているのを見ても、前ほど不思議に感じないでいられる。


★ 私が大学生のころは、学術文献はノートに複写して読んだ。 こんな話を複写機の発達した今日の若者にしても、退屈されるだけだ。
駕籠かきにはいかに脚力が必要であったかを運転手にむかって話しても、関心をもたぬのと同様である


時代にふさわしい資質は変化する

★ 最近、定年延長を望む声と、逆に実質的定年繰り上げの動きがある。   論議はすべて経済的側面からのみ行われている。  しかし、
自分はまだ働きたいという事情のほかに、社会が必要としているからという視点もあると思うのだが、どうだろう




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註記:「私の独り言{前置き[1]}:2005/4/21」に述べた理由で、このシリーズの記事を多数並べているが、これらの中で筆者として最もお読み戴きたいのは、次の2編です。
◎[11]私の独り言{明治生まれ:1979/5/26}[2005/7/6]
◎[9]私の独り言{血税の使い方:1978/4/5}:[2005/07/04]
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この記事へのコメント

変人キャズ
2006年05月11日 09:23
2005/6/8「私の独り言・老害事件」にある話と同根ではない。
2006年05月11日 14:24
TB有難うございます。私のエントリーは単に労働環境、経済のみのものです。私は変人キャズ様に比べればかなり下の年代なので、物申すのもはばかれますが、少しだけ。
 社会が長寿社会に対応していないのであって、それを理解できない若者たちが増えていることは事実ですが、社会は若者たちだけで成り立っているわけではありません。
 先日コシノ姉妹のお母さんが亡くなられその特集をしていましたが、死ぬまで青春という言葉どおりのご活躍でした。新しいことや進歩の為のことをやっておられました。老人は変化できないと思いません。
 憲法には基本的人権が定められており、年齢により制限されていません。自らを律することは素晴らしいことですが、制限する必要はまったくないと思います。
 以前ピアニストさんにもお願いしたことがありますが、せっかくブログを開設なさったのなら、若者を叱り飛ばす事も含めてどんどん発信していただきたいと思います。
 申し遅れましたが、いつも拝見しております。ではまたの機会を楽しみにしています。

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