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zoom RSS 仲間の出合った人達:(1)内藤多仲

<<   作成日時 : 2006/07/06 18:07   >>

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私等の仲間の出合った人達の話、出会いの話題を、暫く続けて書いてみたい。
その第一号として、今回は
内藤多仲先生とY君の話を披露する。

Y君は、内藤多仲氏と一緒に、数時間を過ごしたことがある。
ある結婚式の帰途の汽車の客席を、内藤ご夫妻とY君夫妻が同席するように、挙式者側が座席を用意したのであった。 大学教授の肩書きのあるY君ならば、内籐氏と話も合うだろう、との配慮も有ったのだと思う。
Y君はこの折角の機会を無駄遣いした。


内籐多仲氏は、東京タワーの設計者として有名である。 
大正14年の愛宕山のNHKの放送塔を皮切りに、名古屋テレビ塔、大阪の二代目通天閣、別府・札幌・博多のタワー、etc.をすべて手掛け、昭和45年に84歳で亡くなる迄、塔を作り続けた。
専門的には、内籐氏が日本の近代建築史上で名を残すのは、塔の設計よりも、耐震構造学者としてだが、その業績の総てが正当に語り継がれているとは云えないそうだ。

その詳細が、最近出版された「タワー、内藤多仲と三塔物語、(INAX出版)」に紹介されているというが、専門外の私は読んでいない。

いずれにしても、一廉の業績を残した人物には、それなりの内容が詰まっているものである。
専門分野は異なっても、現場経験もある技術者のY君は、内藤多仲さんと一緒に過ごした車内での数時間に、工学的な話題も当然出たことだろうと、私は思っていた。
或いは、趣味とか、交友とか、感銘深いお話を伺ったかもしれない、と私は想像した。
実は、それが皆無であったのだというので、私は、呆れた。



ピアニスト君と司馬遼太郎の場合、{昔の人に、また逢はめやも (1)『司馬遼太郎』氏}、・ ・
   とは、一緒に出来ない。  ピアニスト君と出合った時、司馬氏は未だペンネームを持たない新聞記者であった。
短時間の出会いでピアニスト君が、初対面の相手の人間的な深さを、理解できなくても無理もなかった。

Y君と内籐氏の場合は、全く違う。

当時既に東京タワーも完成し、功成り名を遂げた、高名な内籐氏と同席し、邪魔の入らない数時間を共にして居て、どうでも良い世間話で過ごすことはないではないか。
  どうした事であろう。



互いに夫人同伴であり、無難な雑談に話題が向かうのは分かる。
但し、そうした中でも、仮令数分間でも、後に感銘の残る会話を持たなかったのは惜しかったなあ、と本人が云うのに、私は情けなく思うのである。
Y君と、内藤多仲氏とでは、同じ、大学教授と言っても、力士で言うならば、横綱と幕下の差である。
幕下力士が横綱に稽古を付けて貰うには、それなりの心の支度が必要であったが、その日のY君にはそれが欠けていた。  恐らく華やかな結婚式場の雰囲気に上気したか、飲み物が回ったか。
いずれにしても、彼は良い勉強をさせられたと、後々に語っていた。

★ ★ ★ ★ ★ ★

私が今回、この様な出会いの話題を続けて書くことを考えたのは、
松代3山の子孫達の奇縁の話、{「縁」に就いて(1)松代の三山}、を知り、
また佐久間氏とドレスデンの青年の話、{「縁」に就いて(2)「ドレスデン」}、を聞いて、
触発されたからである。

我々の仲間のブログに在る、『出会いをテーマにした記事』は、
ある程度の数は有るが、80年の人生に較べて少ないのではないか。

{1}ピアニスト君が、5篇
 [A-6]:昔の人に、また逢はめやも (1)『司馬遼太郎』氏
 [A-7]:昔の人に、また逢はめやも(2)『無名の母親』
 [A-18]:「出逢い」に想う(1)
 [A-19]:「出逢い」に想う(2)
 [A-21] :パピルスと、出会い


{2}佐久間象川先輩が、10篇
 [B-9]:出逢いの問題(1)結婚 
 [B-10]:出逢いの問題(2)感動的な出逢い
 [B-11]:[出逢いの問題(3)社会環境の運
 [B-12]:出逢いの問題(4)社会環境の運(続)
 [B-13]:出逢いの問題(5)一方通行
 [B-14]:出逢いの問題(6)現代の人間
 [B-15]:出逢いの問題 (7)終章:O君
 [B-16]:出逢いの問題 (8)終章(続):O君の評価
 [B-42]:「縁」に就いて(1)松代の三山
 [B-43]:「縁」に就いて(2)「ドレスデン」  
     

{3}実は仲間の中で、最も多数の素晴らしい『出会いの話』が
   盛られているのは、Y君のブログである。
 が、以前にも佐久間先輩が書いていた通りの経緯、{[B-32] : ブログ開設一年を振返り{1}} で、彼のブログは公開されていないので、此処ではノーカウントである。
 R君のブログは最初から非公開を謳っていたから、当然これもノーカウントである。

{4}そして、私こと、変人キャズは、見事に0篇である。 {:「真の教育・菅田教授」}、の1篇があるが、内容的にも、これはY君のものである。



こうした昔の思い出話を残したくなるという事は、要するに、歳を取った証である。
いずれ遠からぬ未来に、我々が姿を消した後で、孫どもが、祖父たちの人生にはどの様な人との出会いが有ったのだろうか、と知りたく思ったとしても、上記のピアニストと佐久間氏の記事だけでは余りに寂しい。

バカと出合った話、{[B-4] :「エプリルフール」}、などは論外だが、若し、Y君の記事が公開されていて、孫達に見せてやる事が出来れば、
我々の仲間の生きた時代の世相や情念を残すだけでなく、アンネ・フランクの校友であったマナッセン(ワイツマン研究所)や、カチャルスキー・カツイール(イスラエル第二代大統領)の話[ピアニスト君]のように、本当に厳しい世界を体験した人の姿を語り伝える事が出来るのに、
と思うと残念である。

この目的のために、Y君の記事で差支えのないものの孫引きを含めて、皆の体験談をもう少し纏めて、私が書き残す事にする。
(但し、ピアニスト君と佐久間氏の上記の15件は除外する)。 

素晴らしい人との出会いで受けた感銘を書き残すだけでなく、逆の話も書こうと思う。
正直に言って、私自身だけでなく、私の仲間は全て、かなりドジである。
本当に願ってもない、素晴らしい人との出会いの機会に恵まれたのに、それを無駄にしてしまった、との経験を全員がしている。
然し、この失敗談を子孫に言い伝える事は意義が有ると思う。
「一期一会」ということを言葉として学んでは居ても、身には付かない。
下らない連中との日常の付き合いの中に埋没していると、感覚が麻痺してしまう。


海岸を散策する時に、踏みしめて歩く足元の無数の砂粒の中に、大粒のダイアモンドがあるとは考えないものである。
我々の仲間の出会いの記録を残すだけでなく、人との出会いというものは、心して大切にしないといけないことを、実例を以って示す事が意義がある。

何年に一度の素晴らしい人物jとの出会いを活かす為には、それだけの心の準備が必要なのである。  このことを孫どもに、言い残すには、
言葉として、「一期一会」と書き残すのでなく、実例の失敗談の方が教育的だと思う。


佐久間さんとドレスデンの青年は、相互に人間的な接触を求めながら、環境に依って、それが果たせなかった。
この記事の冒頭のY君の話は逆に、本当に素晴らしい人との出会いが有りながら、その機会を無駄遣いした話である。
Y君は途中からブログを非公開にしたことで、懲罰に値する。
冒頭のY君の話は、彼にとっては恥しい思い出なのだろうから、懲罰の材料として此処に公開し、孫達の教育のために、今回のシリーズの最初に持ってきた。
 但し、この話は非公開になっているY君のブログにも書いてない。  雑談中に聞いた話である。

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「縁」に就いて(3) 京セラ・稲盛氏
人と人との縁に付いて、我々の仲間は、幾つかの記事を書いている。 出会ってはいないがご縁のあった人、相手の名前も知らないが忘れがたい人、の話も含めて、書かずに居られない思いがあるのだ。 人生とは、人との関係の歴史なのだから。 ...続きを見る
佐久間象川
2006/09/02 21:51
仲間の出合った人達:(参考資料)
★仲間の出合った人(5)J・アーチャー、★仲間の出合った人(6)M・アーチャー、 に コメントを入れた象川氏が、コメントを読んで下さる人への便宜のために、文中で引用した彼自身の旧いブログ記事、{『O君』に関するもの}を、トラックバックしようとしたが、うまく行かない、と言う。 それで私自身も、コメントで引用した[ 御前崎初訪問の旅: [C-110]]を、其処にTBしようとしたが、これもまた、駄目であった。 ...続きを見る
変人キャズ
2006/09/19 16:32

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