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zoom RSS (独り言15)「科学研究費」

<<   作成日時 : 2005/07/13 06:56   >>

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「科学研究費」                  78.5.24

★ 国立大学における研究活動を支える経費は、いくつかの費目の形で予算が組まれているが、主要なものは校費と科研費(科学研究費補助金)である。
このうち校費は、一律に配産されるがのだが、科研費は申請に対し、従来の研究実績を勘案した審査を行い交付される仕組みで、なかなか当たらない。 研究費を多く使う理工系の教官にとり、科研費は正に垂涎の的である。
 ところで既に長い間、陰で噂されていることだが、文部省は研究経費のうち校費の比重を下げて、主力を科研費に置く方向へと舵をとっているフシがある。 これは米国の大学に近いやり方である。
 政府の支出は国民の血税で賄われる。有効に使ってもらわなくては困る。 玉石混こう一律の配分をするよりも、実績からみて成果の期待できる所に、より多くの研究費を回すのは当然だ。

★ 云い難いことだが、一口に大学といっても内容は千差万別である。
よくやる人はいつもよくやるし、逆も真である。 会議という名のリクリエーションに夢中の人もいる。
科研費は、お金を使いたい人でなく、本当に研究を進める意欲と能力のある人に渡すべきだから、実績主義は妥当である。
「今後頑張るから…」という人は、成果を上げた時点で考えればよい。
「金が無くては最初の成果が出ない」というかも知れぬが、皆が最初は校費だけの苦しい状態から出発し、努力の積み上げで差がついていくのだから、泣き事は云いっこなしである。
 もちろん、大学では、教育活動にも金は必要だから、予算ゼロでは済まない。 が、高校以下を見ても分かるように、このための予算は、講座当り30万円あれば十分であろう。
★そこで、先の噂話だが、もし事実、文部省にそのような方針があるのなら、なぜ明確な表示をしないのだろう。 文部官僚にさえも、大学という聖域への遠慮があるのだろうか。 または、とかく批判のある科研費配分に自信が持てないのだろう。
「大学(という冠詞がついてるの)だから、もっと研究費を増額せよ」と単純に要求する人がいる
この鼻柱の強い聖域の住人の中には、高価な機器を研究室に陳列することが研究だ、と思っている人もいる。
「要求」があることと、それが「正義」だということは別である。


 また、科研費配分への批判の中には、己が評価されぬのをひがんだ者の独善的な不平もあり、すべての批判必ずしも正論ではない。 筋違いの声への遠慮は無用である。

★ ところで、2年ほど前から大学予算の中に特定研究費なる費目ができた。
これは、校費と科研費の中間的な性格のものである。 実績審査ぬきでバラ撒かれる、そのような金があるなら、科研費に回してその増額に振り向けるべきだろう。
 科研費の運営には問題があるのは確かである。 中央公論昨年9月号で、太田時男氏が指摘したのは、典型的な悪例である。 が、制度の基本理念と運営の当否は別である。

政策には、フィロソフィのあることが大切である。文部省は信念を持って実績主義を育ててほしい。





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註記:「私の独り言{前置き[1]}:2005/4/21」に述べた理由で、このシリーズの記事を多数並べているが、これらの中で筆者として最もお読み戴きたいのは、次の2編です。
◎[11]私の独り言{明治生まれ:1979/5/26}[2005/7/6]
◎[9]私の独り言{血税の使い方:1978/4/5}:[2005/07/04]
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