開国の歴史、補足

20世紀の歴史の重大な場面に於ける、
先見性を持った人物の行動と、それに対する社会の評価を、
   ▲日本人と先見性:[B-158]
に、佐久間氏が書いている。 これを見て、気になったのは、
明治の開国前の重大な場面で働いた人物として、
  これも佐久間氏が以前[2006/03/11]に書いていた
  真田幸貫のことだ。

   ▲「人間の評価」に就いて(1)真田幸貫 :[B-28]
に書かれているのは、天保13年(1842)7月に、幕府が
  それまでの外国船打ち払い令を改めて、 「薪水令」
  切替えた件の、歴史的評価について、である。
この時、本丸老中水野忠邦は、老中の合議でなく
  当時の幕閣3人だけの専断で決めたことを、
  佐久間氏は書いてある。

しかし、その時代背景というか、歴史的状況があまり説明
  されていないので、この際補足しておくのが良い、と感じた。

     ★ ★ ★ ★ ★

その後の歴史は、次のように進んだ
上記ブログ記事の出来ごとのあった翌年、天保14年(1843
  天保改革にに失敗した水野忠邦が失脚して、
  阿部正広が老中主席になった。 そして、
  弘化元年(1844)に、オランダ公使が開国を勧め、
  仏、米、英、デンマークなどが開国、通商を求めてきた。

幕府は、水戸斉昭に求めて幕政に参加させたが
  強硬な攘夷論者の斉昭は意見が合わず、
  嘉永2年(1849)、自ら職を辞した。
安政元年(1854)、幕府は米、英、露、オランダと
  和親条約を結び、下田、函館の2港を開き、
安政5年には井伊直弼が大老になり、米、英、露、
  オランダ、仏、と、 修好通商条約を結んだ。

同時期に将軍継嗣問題が起き、一橋慶喜(斉昭の第七子)
  を推す斉昭らは、紀伊慶福(よしとみ、十四代将軍
     家茂)を推す井伊直弼一派と鋭く対立して
  安政の大獄を生じ、斉昭は謹慎を命じられた。

安政の大獄と日米通商条約違勅調印は、水戸、薩摩の
  浪士を刺激し万延元年(1860)3月3日の桜田門外の変
  を生じ、直弼は暗殺され、斉昭もこの年、水戸に没した。

徳川慶喜が15代将軍として在職したのは、
  {慶応2年12 月5日(1867年1月10日)から
     慶応3年12月9日(1868年1月3日)、までの短期間}
である。
   そして、その時に、つまり「薪水令」から25年目に
   ▲「人間の評価」に就いて(5):堀直虎:[B-40]
に書いてある、堀直虎の事件、が起こったのであった。 

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