「科学技術過信」ではない(続)

地震学者、東大助教授の今村明恒(1870-1948)は
  関東大震災や東南海地震を警告したことで知られる。

死者、行方不明が2万8千人を超す惨禍となった、
  今回の東日本大震災で、岩手県大船渡市の
  三陸町吉浜地区や、同県釜石市唐丹町本郷の
  高地部分の2集落は難を免れた。
  住民の高地移住を進めていたお陰だ。
  今村が三陸海岸の津波に関心を寄せていて、
  被害防止に住民の高地移住を強く勧めた成果だ。

  1896の明治三陸大津波は2万人以上、1933の
  昭和大津波では3000人ほどが犠牲になったので、
岩手県宮古市田老地区では
    「万里の長城」、と呼ばれる堤防を築いて
     備えたが、今回の津波では破壊された
  のと、対照的だ。

      ★ ★ ★ ★ ★

今村明恒は当時としては珍しく、地震予知に情熱を
  燃やした学者だった。 当時の学界では、
  地震予知は星占いのような当てにならないもの
  と考えられていた、という。
  今村は関東地震(1923年)や東南海地震
  (1944年)が、 いずれ襲って来ることを予想して、
  為政者や人々に防災の準備を説いた。

しかし、いずれ大地震が来るという彼の警告には
  「世を騒がせるだけだ」、という批判が多かった。
  彼の直接の上司であった教授、
       大森房吉(1868-1923)、も批判者で、
       「今村が予言する関東地震は起きない」
  と公言していた。 二人はことごとに衝突し、
     確執は深まり、今村は辛い思いをした。

大森は、実際に関東地震が起きて、死者が10万人
     を超える大被害を生んだときは、
  たまたま学会でオーストラリアに行っていた。
  地震の報を受けて急遽帰国中に倒れ
「今度の震災については、自分は重大な責任を
  感じている。 譴責されても仕方がない

  という言葉を残して、ほどなく亡くなった。

大森は、今村よりも僅かに2歳年長だけだったが、
     上司として今村に辛く当ったことで、
  関東大震災以後は、大層評判が悪い。
  大森は、確たる証拠がない以上は無用な混乱を
  避けるべきだという、日本を代表する地震学者
  として、世間に対する責任感に動かされていた、
  との見方もある。
  この種の後世における人間評価の妥当性は、
  本当のところは、洵に分かり難い。
ただ、大森が亡くなる前に残した言葉は、矢張り
  戦前の日本人の持っていた潔さが有って、
  立派
だと思う。

      ★ ★ ★ ★ ★

現代人は、 権力を持てば権力を振うし、
  発言の機会があればいい加減な発言をするが、
  その結果については、全く責任をとらない。

小泉純一郎なんて、いい加減な男が、
  いい加減な政治を行った、のはまあ仕方ないとして、
  「何を言ったか、なんて、問題でない」、と言い、
  「自分も、死ねば天国に行ける」、と思い違いしている、
  のに、呆れる。: 
     ▲   NHKと小泉元首相:[C-172]
現在の首相である管も、小泉と全く同じ型の人物、である。

1945の敗戦までの日本では、それほど社会的地位の
  高くない一般人でも、責任を感じれば切腹をした。
  戦後、切腹はなくなったが、20世紀のうちは
     戦前型の政治家や官僚、財界人が居た。
  21世紀に入って、その型の人物は完全消失し、
  今は総理でさえ、無恥そのものである。

前回の記事、▲ 「科学技術過信の果て」ではない:[C-250]
に書いた通り、公器である新聞に署名記事として、
  いい加減な意見発表をする人物が出てきたこと、の方が、
     局地的な地震、津波、原発事故よりも
  遥かに、恐ろしいことである。

"「科学技術過信」ではない(続)" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント