2008秋の叙勲を見て
毎年、11月3日の新聞には秋の叙勲のニュースが載る 。
その記事は年々小さくなり、目立たなくなって、今年は新聞に依っては一面の記事目録にも載っていない有様である。
然し、依然これが大きな国事であり、受勲を歓び、それを願う人々が存在し、
それらの人々を利用して選挙区の票集めに利用しようとする代議士がいたり、
叙勲産業と謂われるような業態があることも、余り変わっていない。
我々の仲間は、政府の行なう授賞、叙勲などの現実には大層不信を、持っている。
その為に、今までに仲間たちはその関連記事をかなり書いている、
(この記事の文末にリストを挙げる)。
それにも関わらず、従来私等の知らなかった事を最近になって知った。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
昭和39年に生存者叙勲が復活した当時、中曽根康弘氏は、それに反対であったという話である。
現在では、別名として大勲位氏とも呼ばれる中曽根氏の意外な過去を知ったので、此処に紹介する。
ピアニスト氏が:▲ [A-91] ノーベル賞受賞者と文化勲章 、の記事に引用した、”大江氏の件に関する文章”、の原典に書いてあったことであるが、
私たちのような老人仲間も知らないでいたので、現在の日本人の多くは知らないと思う。
其処に書かれていた文章を、以下に引用、紹介する。
★ ★ ★
『昭和39年から生存者に対する叙勲が復活しました。
当時まだ40代だった中曽根康弘さんは、生存者への叙勲には反対、の姿勢をとっていました。
昭和38年11月3日付朝日新聞に、生存者叙勲復活が閣議決定されたあとのコメントが載っています。
「……戦前の勲章の復活などは、いまの憲法にふさわしくない。
第一、いまどき勲章をもらったって、いつ、どんな服につけるのかね」、
と皮肉たっぷりだ。
その中曽根さんが80歳を目前にして、大勲位菊花大綬賞という上から2番目に偉い勲章をもらったことが、なによりの皮肉です。』
★ ★ ★
社会党議員たちが生存者叙勲に反対しておきながら、その殆どの連中が受勲した、と佐久間氏は
▲[B-29]:「人間の評価」に就いて(2)極端な事例
に書いたが、こうして社会党だけでなく、大勲位氏と呼ばれる中曽根氏もそうであったかと知ると、
本当に冷え冷えした気持ちになる。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
ところで、生存者叙勲が復活した昭和39年からみると、
受勲者に対する世間の見方もすっかり変わった。
マスコミなどの取り扱い方も以前の様に大ニュースということでなく、
昨日のお天気はこうでした、といった感じの報道である。
旧社会党議員たちや、大勲位氏の振る舞いも一因であるが、
世間一般の人達が自分の知る著名人、また職場など身近で知る人達のうち、
どのような人物が叙勲の対象に成り、また成らないか、を観ている内に気持ちが冷えてきたのだろう。
昔は墓石にもよく勲六等などと刻まれていたものだが、
近頃は余り流行らない ようである。
昔は大学生は同年代の若者の中で特別な存在と見られていたのに、最近では普通の若者という感じになった。
それで昔の大卒者は名刺に、「工学士」だとか、「理学士」だとか、学士号の肩書きを印刷していたが、
今では博士号だって、「医学博士」以外は名刺にも記入しないし、テレビ出演者の紹介にも言わない。
それと同様な世間の見方の変化、を齎したのであろう。
民衆というものは結構賢いもので、前記のように墓碑銘に勲何等などと刻まなくなる社会的風潮は、為政者には御しがたい。
前々回の記事、▲ 「浅田常三郎」を読んで(続)、 に書いたN氏も、今秋の叙勲は無かったようである:
(服部学順氏は大學名誉教授がやっとであり、叙勲など勿論無く、既に亡くなっている)。
数日前に麻生首相が景気対策として打ち出した政策では、思い付きの定額給付金だとか、高速道路休日通行料金を全国一律1000円以下にすると言ったが、それは乗用車の話で、トラックは関係ない、というのが物笑いの種になった。 ・ ・ が、
叙勲者リストも、その話と同様の発想で処理されているように見える。
だが、墓碑銘に勲何等などと刻まなくなった社会的潮流は、この程度の為政者には回復できない。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
最も相応しい人には、政府から叙勲の話は無く
→ {▲[B-29]:「人間の評価」に就いて(2)極端な事例 、
▲ [C-171] 「浅田常三郎」を読んで(続)}、
政府が贈ると言っても、相応しい人は受取らない
→ {▲[C-143] 「美しい国」への提案(4) 叙勲の話[a]}。
とんでもない人のところに、最高の授賞が行き
→ {▲[B-39] 「人間の評価」に就いて(4)春の叙勲}、
筋目を通す人は、贈ると言われても辞退する、
→ {▲[B-30]「人間の評価」に就いて(3)}
こういうことが積もって、世間の見る目も、冷えたのであろう。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
今までに仲間の書いた、わが国の授賞、叙勲などの現実への批判の関連記事のリストを挙げる。:
▲ [A-91]:[2008/10/29] ノーベル賞受賞者と文化勲章
▲[B-29]:[2006/03/14]:「人間の評価」に就いて(2)極端な事例
ー - - 旧社会党議員たちの受勲と、杉原千畝氏、
▲[B-30]:[2006/03/15]:「人間の評価」に就いて(3)
ー - - 旧社会党関係でも、立派な人が居た
▲[B-39] [2006/05/5]:「人間の評価」に就いて(4)春の叙勲
ー - - 村山氏の桐花大綬章授賞の批判
▲[B-52]:[2006/11/3] 人間の評価に付いて(6)秋の叙勲
ー - - 市議、村長が多い受勲者、選考のウラ
▲[B-78]:(2008/5/4):人間の評価:(8)春の叙勲
ー - - 末は博士か、叙勲者か
▲[C-143] [2007/5/25] 「美しい国」への提案(4) 叙勲の話[a]
ー - - 城山三郎氏の話
▲[C-144] [2007/5/26]「美しい国」への提案(5)叙勲の話[b]
▲[C-161][2007/11/3] 秋の叙勲に思う
ー - - 中授賞の殆ど全員が県議、市議
▲ [C-171] 「浅田常三郎」を読んで(続)
ー - - 授賞者選考の現実
★ ★ ★
上述の学卒者の肩書き学位の関連でも同様である。 古くは夏目漱石の博士号返上が有名だが、現在も大學の名誉教授称号程度の話題でも →
▲[A-13]歴史認識(2)
▲[C-170] 「浅田常三郎」を読んで、
▲ [C-171] 「浅田常三郎」を読んで(続)
に書かれたようになるのだから、日本人の本質的問題かもしれない。
その記事は年々小さくなり、目立たなくなって、今年は新聞に依っては一面の記事目録にも載っていない有様である。
然し、依然これが大きな国事であり、受勲を歓び、それを願う人々が存在し、
それらの人々を利用して選挙区の票集めに利用しようとする代議士がいたり、
叙勲産業と謂われるような業態があることも、余り変わっていない。
我々の仲間は、政府の行なう授賞、叙勲などの現実には大層不信を、持っている。
その為に、今までに仲間たちはその関連記事をかなり書いている、
(この記事の文末にリストを挙げる)。
それにも関わらず、従来私等の知らなかった事を最近になって知った。
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昭和39年に生存者叙勲が復活した当時、中曽根康弘氏は、それに反対であったという話である。
現在では、別名として大勲位氏とも呼ばれる中曽根氏の意外な過去を知ったので、此処に紹介する。
ピアニスト氏が:▲ [A-91] ノーベル賞受賞者と文化勲章 、の記事に引用した、”大江氏の件に関する文章”、の原典に書いてあったことであるが、
私たちのような老人仲間も知らないでいたので、現在の日本人の多くは知らないと思う。
其処に書かれていた文章を、以下に引用、紹介する。
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『昭和39年から生存者に対する叙勲が復活しました。
当時まだ40代だった中曽根康弘さんは、生存者への叙勲には反対、の姿勢をとっていました。
昭和38年11月3日付朝日新聞に、生存者叙勲復活が閣議決定されたあとのコメントが載っています。
「……戦前の勲章の復活などは、いまの憲法にふさわしくない。
第一、いまどき勲章をもらったって、いつ、どんな服につけるのかね」、
と皮肉たっぷりだ。
その中曽根さんが80歳を目前にして、大勲位菊花大綬賞という上から2番目に偉い勲章をもらったことが、なによりの皮肉です。』
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社会党議員たちが生存者叙勲に反対しておきながら、その殆どの連中が受勲した、と佐久間氏は
▲[B-29]:「人間の評価」に就いて(2)極端な事例
に書いたが、こうして社会党だけでなく、大勲位氏と呼ばれる中曽根氏もそうであったかと知ると、
本当に冷え冷えした気持ちになる。
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ところで、生存者叙勲が復活した昭和39年からみると、
受勲者に対する世間の見方もすっかり変わった。
マスコミなどの取り扱い方も以前の様に大ニュースということでなく、
昨日のお天気はこうでした、といった感じの報道である。
旧社会党議員たちや、大勲位氏の振る舞いも一因であるが、
世間一般の人達が自分の知る著名人、また職場など身近で知る人達のうち、
どのような人物が叙勲の対象に成り、また成らないか、を観ている内に気持ちが冷えてきたのだろう。
昔は墓石にもよく勲六等などと刻まれていたものだが、
近頃は余り流行らない ようである。
昔は大学生は同年代の若者の中で特別な存在と見られていたのに、最近では普通の若者という感じになった。
それで昔の大卒者は名刺に、「工学士」だとか、「理学士」だとか、学士号の肩書きを印刷していたが、
今では博士号だって、「医学博士」以外は名刺にも記入しないし、テレビ出演者の紹介にも言わない。
それと同様な世間の見方の変化、を齎したのであろう。
民衆というものは結構賢いもので、前記のように墓碑銘に勲何等などと刻まなくなる社会的風潮は、為政者には御しがたい。
前々回の記事、▲ 「浅田常三郎」を読んで(続)、 に書いたN氏も、今秋の叙勲は無かったようである:
(服部学順氏は大學名誉教授がやっとであり、叙勲など勿論無く、既に亡くなっている)。
数日前に麻生首相が景気対策として打ち出した政策では、思い付きの定額給付金だとか、高速道路休日通行料金を全国一律1000円以下にすると言ったが、それは乗用車の話で、トラックは関係ない、というのが物笑いの種になった。 ・ ・ が、
叙勲者リストも、その話と同様の発想で処理されているように見える。
だが、墓碑銘に勲何等などと刻まなくなった社会的潮流は、この程度の為政者には回復できない。
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最も相応しい人には、政府から叙勲の話は無く
→ {▲[B-29]:「人間の評価」に就いて(2)極端な事例 、
▲ [C-171] 「浅田常三郎」を読んで(続)}、
政府が贈ると言っても、相応しい人は受取らない
→ {▲[C-143] 「美しい国」への提案(4) 叙勲の話[a]}。
とんでもない人のところに、最高の授賞が行き
→ {▲[B-39] 「人間の評価」に就いて(4)春の叙勲}、
筋目を通す人は、贈ると言われても辞退する、
→ {▲[B-30]「人間の評価」に就いて(3)}
こういうことが積もって、世間の見る目も、冷えたのであろう。
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今までに仲間の書いた、わが国の授賞、叙勲などの現実への批判の関連記事のリストを挙げる。:
▲ [A-91]:[2008/10/29] ノーベル賞受賞者と文化勲章
▲[B-29]:[2006/03/14]:「人間の評価」に就いて(2)極端な事例
ー - - 旧社会党議員たちの受勲と、杉原千畝氏、
▲[B-30]:[2006/03/15]:「人間の評価」に就いて(3)
ー - - 旧社会党関係でも、立派な人が居た
▲[B-39] [2006/05/5]:「人間の評価」に就いて(4)春の叙勲
ー - - 村山氏の桐花大綬章授賞の批判
▲[B-52]:[2006/11/3] 人間の評価に付いて(6)秋の叙勲
ー - - 市議、村長が多い受勲者、選考のウラ
▲[B-78]:(2008/5/4):人間の評価:(8)春の叙勲
ー - - 末は博士か、叙勲者か
▲[C-143] [2007/5/25] 「美しい国」への提案(4) 叙勲の話[a]
ー - - 城山三郎氏の話
▲[C-144] [2007/5/26]「美しい国」への提案(5)叙勲の話[b]
▲[C-161][2007/11/3] 秋の叙勲に思う
ー - - 中授賞の殆ど全員が県議、市議
▲ [C-171] 「浅田常三郎」を読んで(続)
ー - - 授賞者選考の現実
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上述の学卒者の肩書き学位の関連でも同様である。 古くは夏目漱石の博士号返上が有名だが、現在も大學の名誉教授称号程度の話題でも →
▲[A-13]歴史認識(2)
▲[C-170] 「浅田常三郎」を読んで、
▲ [C-171] 「浅田常三郎」を読んで(続)
に書かれたようになるのだから、日本人の本質的問題かもしれない。
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