「成果主義」について

本日のテレビ報道で、ボーイング社が新型航空機、B787を発表し、
  その隔絶した優れた性能のために、今後の世界航空業界で主要な機種になりそうなこと、を報じていた。
この新型機種B787の、セールスポイントは低燃費である。

従来に較べて燃料費が20%も少なくて済むというから、その経済性のため、世界中の航空会社から注目を集めても当然である。
その低燃費を生み出した主要な理由が、機体構造に採用されている複合素材で、その軽量性の為であるという。

更に、その素材の供給元が日本であること、新機種の当初主要購入航空会社が日本であることなど、を聞き、私はいろいろな事を改めて思わずにいられなかった。

このニュースを見ていて、先ず、頭に浮かんだのが、野間口光雄氏の事である。
仲間の出合った人達:(2) 野間口光雄、に紹介した、故野間口氏のことである。


あの記事に紹介したような、歴史的な劇的な経歴を経て、戦後日本が高度成長に向かう時期に、人生の最盛期を迎えた野間口氏は、比較的目立たない地味な会社で働いていた。

そして、あの記事で紹介した、Y君との出会いの用件は、その会社での業務内容。
それが正に、今回のB787の機体構造材料に使用されている複合素材、の開発に関わるものであった。



本日のニュースを見れば、その様な優れた材料があれば、それを用いて超低燃費の航空機を作れば良い事は、誰の眼にも明らかである。
しかし、40年も昔に、その様な素材を手掛けると言うことは、決して利口者のやる事ではなかった。
現在でもデカイ面をしてテレビで偉そうな口を叩いている、利口な評論家Tなどが、企業経営者は会社の利益のために北海道の土地を購入しなのはバカだ、などと喚いていた頃である。

流石に野間口氏である、と、今朝のテレビニュースを見ながら、私は改めて感動したのである。

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同時に考えさせられた事がある。
本日の新聞を見ると、大学の評価に成果主義を導入する事が必要、というのが現在の常識であるが、それには問題が在るとする、批判的な議論が紙面にあった。

業績の評価ということが、神様のように完全に出来るのであれば、矢張り評価主義が良いことであるのは間違いない。
 但し、問題は誰が評価するかである。


40年の昔に野間口氏だから、あのテーマの仕事が有意義である、と判断できた。 
恐らく日本中の全ての政治家、官僚の中で、同様な評価の出来た人間は居なかっただろう。
別に評論家・竹村健一だけが、例外的に先見性が無かったのではない。

 事実、野間口氏の来訪を受けて、その件で話をしたY君も、その後その仕事を諦めざるを得ないハメになった。
本日のボーイング社の華々しい話題を見ても誰も、その辺を考える人間は居ないのである。

業績の「評価」は、もし出来るならば、することが望ましい。
それは猫の首に鈴を付けるくらいに、素晴らしいアイデアである。
問題は、誰が鈴を付けるのか、である。


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佐久間先輩のブログに、I氏の批判が入っていた:
★[B-57]:(2007/6/25)伝統文化と常識の変遷(1)

【「時間が経ち、世間の常識が変化した後では『当然』のことが、或る時点では『非常識』に見える」、という認識には賛成だ。
 しかし、それを拡大して 、「体験しない事は、本当には分らないのが、人類の限界なのだ。そして、『共感』とは、・ ・ 深い、人間の根底で発生する。 とまで言っていいのか」】
     という、佐久間氏への批判である。
【「体験しない事は、本当には分らない」、で立ち止まっていいとは思わない。
印刷物による疑似体験でも、そこそこの理解を得る事が出来る。
もし、それが出来なければ歴史に学ぶ事は出来ない。】

この批判を述べたI氏は落ち着いてものを考え、自分の考えを述べるのに当っても一部のブログ人種の様に凶気じみた口汚い発言をする人でないから、正確に考えを表現している。

その上、佐久間先輩の文章に不完全な表現があって、(後から訂正されているが)、「体験」するという言葉の意味が説明不足であるのも誤解を生じている。佐久間先輩は“戦後生まれでも、自分の親、祖父母等から生々しい話を直接に聞いて育った人達”も含めて体験者と言った心算だが、読む側にはその様に受取れない。
其処に一部分、I氏の無用な誤解を生じさせたところもあると私は見た。

こうして、I氏の主張にも納得出来る部分が非常に多い。 しかしながら、
『本当に』、と、『そこそこ』の差、を佐久間氏は問題にしていたのが、伝わっていない。

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ガリレオは全人類の中で例外的な地動説を唱えたがために屈辱的な謝罪をせねばならなかった。
それは未だ宗教の力の強かった時代のことであり、その後の人類社会は変わったというかも知れない。
然し、その後も、電気理論の基本中の基本として知られる法則の発見者、オームは学界の爪弾きに会って生涯独身の寂しい人生であったし、 メンデルスゾーンが居なければ、バッハの名前と作品は知られないままであった。

先覚者は無視、忘却されるのが相場であり、その中で例外的に幸福な僅かの人が、後の世で気付かれ、認められる。
それは、現在だって変わらない。


野間口氏がY君を訪れて、この素材の話を交わした時点で、半世紀後の2007/7の、今日のボーイング社の新型航空機B787の開発を見通すことは、人間には出来ない事である。

【「体験しない事は、本当には分らない」とは思わない。
   印刷物でも、『そこそこの』理解を得る事が出来る。】
というのは、矢張り、『本当に』自分で涙を流した人間、でないから言えることだと思って、
前回の、{「血税の使い方」を再掲}、したのであった。

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従来も何度か書いてきているが、私は矢張り、
人類というものは、有限者であり、犬の限界、猿の限界、人類の限界、という階層があって、もう少し上等な生物が生まれてきたら、乗り越える限界の処で、人類が制約されている、
  という思いを、捨てられない。

今日のボーイング社の新型航空機B787の話題に接し、
野間口氏がY君を訪れた昔を思い出して、先を見通しての仕事の評価は、人間には出来ない事を改めて感じた。

そうして、人類には、猫に鈴を付ける知恵がない以上は、
大学に成果主義を導入するよりは、各大学人の自覚に期待して、
  政治家や官僚が人事権、予算配分権を握らない方が良い、

と思うのである。

★ ★  ★ [2007/07/15後註] ★  ★ ★

この記事を公開して後から、メール等で質問を頂き、誤解されている部分が在るのを知った。 少し注釈を付け足す。
この記事の目的は、「成果主義」、の問題を論じることであり、新型航空機の開発史を論じる事ではなかった。
 「機体構造に採用された複合素材」の原型が研究され始められた頃には、多くの企業が関心を持って、当時、有馬温泉で合宿勉強会を開いた時には、約100社が参加した。
それらは、超大会社から、町工場まで雑多であり、それらの殆ど全てはその後、脱落したが、今回の、「複合素材供給元」である「東レ」もその時に参加した中の一社であった。
 が、野間口氏は「東レ」ではない。
私が野間口氏の名前を出したのは、その様な将来有望な、然し、現実には検討していた殆どの企業が沈没したような、リスクのある仕事に挑戦したことを評価したのであって、
野間口氏の会社がそのまま、今日の「複合素材供給元」になった、と言う意味ではない。

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