「美しい国」への提案(4):叙勲の話[a]

「美しい国」を作るための提案(4)
     叙勲の話[a]


★ 佐久間先輩は叙勲の話を過去に、 ▲「人間の評価」に就いて(4)春の叙勲 [2006/05]、 ▲人間の評価に付いて(6)秋の叙勲(2006/11)、に書いているので、今春もその関連記事を期待していたが、出て来なかった。

 毎年、春秋の叙勲の名簿を見る時、虚しい気持ちになる、と
佐久間氏は、▲「人間の評価」に就いて(2)極端な事例 { [2006/03]}、に書いており、その気持の現われが、上記の佐久間ブログのエントリーであった。

 叙勲に関連した話題が、今年の4月29日前後に書かれなかったのは、何が有ったか知らないが、私が、それに関連した話を取り上げたい。


 それは、今春3/22に他界された、城山三郎氏、の話である


私がよく見るブログでは、
東郷幹夫日記(2007/05/9)の、 「外国人の叙勲に異議あり」に、今春の叙勲の話があったが、こちらは外国人の今年受勲者の評価の話であって、其処でも城山氏の話には触れていないから、私がこの話をしておくのも無意味ではなかろう。

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「男子の本懐」、「落日燃ゆ」等の作品で知られる城山氏は、
ご自身が叙勲を拒否し続けただけでなく、同じ「志」を持った財界人を、よく題材に選んだ。

城山氏が作品に採り上げた人物として、例えば、

中山素平氏は「人間の値打ちを役所に決められるのは抵抗がある」として、叙勲を貰わなかったし、
▼「粗にして野だが、卑ではないつもり」の名言で知られる石田礼助氏も受勲を拒否、
石坂泰三氏は「後継の経団連会長が困るから」と嫌々ながら叙勲を受けた、などである。
▼城山氏自身が勲章を拒んだ理由は、「国のため、と思って、親の反対を振り切り、17歳で、死ぬ為に軍隊に行ったのに、後で、国民は裏切られていたことが分った。 そんな国から勲章など貰うな」、ということだった、という。


叙勲は、霞ヶ関の所管官庁の評価で決まる。
国民が決めるのでもなければ、歴史家や、有識者が決めるのでもない。



石田礼助氏を例に見てみよう。
元国鉄総裁で、瀕死の危機にあった国鉄を再建した石田氏が叙勲を拒んだのに、旧国鉄を瀕死の事態に追い込んだ側の、旧社会党員は全て叙勲を受けている。


今後の日本を美しい国に再生する為には、人間の発言と行動の乖離に関して、歴史的事実を記憶に残しておく事が必要であろう。
現在の立派なJRの姿しか知らない、若い人達のために、少し説明を加えておかないと分らないと思う。



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国鉄という組織は、明治の先人が大変な努力を以って育て上げ、その職員であることは、嘗ては非常に大きなプライドであった。
その運転の正確さ、保守技術の水準の高さは、世界に誇るべきものがあった。

しかし、45万人を擁する日本最大の公共事業体であったのに、
1945頃から、労組が強化するのに伴って、組織としての堕落が始まり、規律の乱れが目を覆うようになっていった。

東海道新幹線開通の1964年から赤字転落が始まり、 1976に一挙50%の運賃値上げが認められ、翌年からは赤字路線への公的助成が始まった。
国鉄赤字は天文学的数字に昇り、 1980に打ち出した経営改善再建計画でも、どうにもならなかった。

国という、絶対に潰れない無限のスポンサーに寄生する組合は、労働者が働かずして権利を拡充し、君臨した。

国鉄当局は、組合の了承無しに新人職員の採用や配置も行なえず、違法行為で解雇された活動家を再採用することを組合との間で合意し、組合員を怒らす業務命令を控えた。

その結果働いて貰えなくなった部分の仕事を、管理職者や上級者が埋め合わせて、運行する。
職場規律を見失い、経営権、人事権も行使できなくなった


この瀕死の危機にあった国鉄を再建したのが、石田氏であった。

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戦争中の出来事の評価に、世代の間に大きな差があるのを、ピアニスト氏が、
 ▲歴史認識(1){[A-12] [2005/07/17]}
に書いているが、
価値観の差異に基づく評価の問題でなく、歴史的事実の伝承の問題だ
と私は思っている。

そうした意味からも、今日JRとして見違えるように蘇ったのには、石田氏を初め、一部の人達の命懸けの努力があったのであることは、言い伝えなければならない。

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