大学設置認可問題(3)
田中真紀子の2日の発言は、数十年間の文部大臣達が全く
無頓着であった「教育の理想論」を、よくぞ述べてくれたもの。
「猿がタイプライターを叩いて遊んでいるうちに、
シェックスピアの詩を打ち出した」のだとしても、
その詩は素晴らしい。
その詩の中で、 「大学と学生の数」、だけに絞って、
此処で見てみよう。
★ ★ ★ ★ ★
昭和15(1940)年の中学校(旧制)の進学率が20%、
だったが、
昭和47(1972)年の大学進学率は20%、
となり、30年前の中学と並んだ。
昭和20(1945)年当時、全国の大学の数は48、
その学生総定員はおよそ9万人、 だったが、
その後、およそ30年で、大学の数は約20倍、
学生数は約23倍、 になった。
その様な増加の契機の一つに、昭和25(1950)年の学制
改革で、大学が4年制になると同時に短期大学の制度
が設けられて、旧制高校、専門学校、師範学校等が
全て昇格、吸収されたこともあるが、 それ以上に
その後の文部官僚の思惑で、ベビーブームその他の口実
を設けては、大学を作り続けたことが大きい。
{参照:▲ 大学設置認可問題(1):[A-160]}
そのため、昭和50(1975)年には、4年制大学が420、
短期大学が513校にもなり、大学生の数は209万人
(国の総人口の2%)、 進学率38%、となった。
★ ★ ★ ★ ★
一つの国の高等教育の普及状況を3段階に分け、
●該当年齢層の進学率が15%までをエリート段階、
●15~50%をマス段階、●50%以上をユニバーサル段階、
ということにすると、
「伝統的な大学」、が対応できるのは、
エリート段階まで、 である。
米国は昭和50(1975)年にはユニバーサル段階に達していた
が、豊富な物質資源を持つために、人的資源は全世界から
供給を受けて、世界の一流国の立場を堅持している。
。
我が国の教育環境は、その頃は、まだマス段階にあったが、
行政が機能せずに、共通一次、大学入試センター試験など、
一連の教育政策によって、劣化が続いた。
教育が破壊されて行く過程で、多くの有識者、知識人が抗議、
反論の申し立てを行ったが、それらは洵に空しく、
現在は完全にユニバーサル段階になった。
分数の計算も出来なければ、ローマ字を読めない大卒が
居ても、当然である。
★ ★ ★ ★ ★
週刊新潮に連載されていたヤンデンマンの
「東京情報」は、説得力のある時代批評であり、
このテーマについても、何回も取上げていた。
昭和63(1988)年8月25日の「東京情報」で、
あるスイス人は心配していた。
「スイスの大学進学率は、一貫して3%のままであり、
日本のように年々進学率が増加して37.6%にまで来た、
なんて、理解できない。
昭和50年代初めに、日本の大学の数はヨーロッパ全体
の大学数を上回っていたのだから、今では2倍以上に
膨れ上がっているのじゃないかな。
当然の結果として、学生たちの質は低下するのだが、
卒業後どこに行くのだろうか」。
。
これに対して
ヤンデンマンが、にっこり笑って、即座に答えたのが、
「マクドナルド、セヴン―イレブン、ファミリーマート、
レッドロブスター・・・・・行くところは、幾らでもあるさ」、
と言っている。
。
当時、ヤンデンマンも、これは冗談のつもりで云ったのだろう。
が、2012年の現時点では、冗談でも笑い話でもない
現実社会の姿となり、 それどころか、
それらの職場さえも、就職困難な買い手市場となっている。
★ ★ ★ ★ ★
今回(11/2の時点で)田中文科相が不認可とした3件の
4年制大学の新設案の関係者は、これまでに注ぎ込んだ
金が無駄になる、などと文句を言っているが、
日本の大学教育環境が完全に
ユニバーサル段階になった現在でも、一旦大学が出来ると、
其処の学生1人につき、我々一般国民の納付する税金、
数十万円が注ぎ込まれることを、どう考えているのだろう。
私の納付する血税が、 分数の計算も出来なければ 、
ローマ字を読めない大卒を作る、 遊園地もどきの
大学に、何故むしりとられなければならないのだろう。
私は2日の田中文科相の発言に賛成で、
既存の大学でも廃止する行政措置、もあるべきだ、と思う。
そのためには、これも2日に田中文科相が云っていた
ように、設置審の組織の再検討が必要である。
参照:
▲ 大学設置認可問題(1):[A-160][2012/11/4]
▲ 大学設置認可問題(2):[A-161][2012/11/10]
無頓着であった「教育の理想論」を、よくぞ述べてくれたもの。
「猿がタイプライターを叩いて遊んでいるうちに、
シェックスピアの詩を打ち出した」のだとしても、
その詩は素晴らしい。
その詩の中で、 「大学と学生の数」、だけに絞って、
此処で見てみよう。
★ ★ ★ ★ ★
昭和15(1940)年の中学校(旧制)の進学率が20%、
だったが、
昭和47(1972)年の大学進学率は20%、
となり、30年前の中学と並んだ。
昭和20(1945)年当時、全国の大学の数は48、
その学生総定員はおよそ9万人、 だったが、
その後、およそ30年で、大学の数は約20倍、
学生数は約23倍、 になった。
その様な増加の契機の一つに、昭和25(1950)年の学制
改革で、大学が4年制になると同時に短期大学の制度
が設けられて、旧制高校、専門学校、師範学校等が
全て昇格、吸収されたこともあるが、 それ以上に
その後の文部官僚の思惑で、ベビーブームその他の口実
を設けては、大学を作り続けたことが大きい。
{参照:▲ 大学設置認可問題(1):[A-160]}
そのため、昭和50(1975)年には、4年制大学が420、
短期大学が513校にもなり、大学生の数は209万人
(国の総人口の2%)、 進学率38%、となった。
★ ★ ★ ★ ★
一つの国の高等教育の普及状況を3段階に分け、
●該当年齢層の進学率が15%までをエリート段階、
●15~50%をマス段階、●50%以上をユニバーサル段階、
ということにすると、
「伝統的な大学」、が対応できるのは、
エリート段階まで、 である。
米国は昭和50(1975)年にはユニバーサル段階に達していた
が、豊富な物質資源を持つために、人的資源は全世界から
供給を受けて、世界の一流国の立場を堅持している。
。
我が国の教育環境は、その頃は、まだマス段階にあったが、
行政が機能せずに、共通一次、大学入試センター試験など、
一連の教育政策によって、劣化が続いた。
教育が破壊されて行く過程で、多くの有識者、知識人が抗議、
反論の申し立てを行ったが、それらは洵に空しく、
現在は完全にユニバーサル段階になった。
分数の計算も出来なければ、ローマ字を読めない大卒が
居ても、当然である。
★ ★ ★ ★ ★
週刊新潮に連載されていたヤンデンマンの
「東京情報」は、説得力のある時代批評であり、
このテーマについても、何回も取上げていた。
昭和63(1988)年8月25日の「東京情報」で、
あるスイス人は心配していた。
「スイスの大学進学率は、一貫して3%のままであり、
日本のように年々進学率が増加して37.6%にまで来た、
なんて、理解できない。
昭和50年代初めに、日本の大学の数はヨーロッパ全体
の大学数を上回っていたのだから、今では2倍以上に
膨れ上がっているのじゃないかな。
当然の結果として、学生たちの質は低下するのだが、
卒業後どこに行くのだろうか」。
。
これに対して
ヤンデンマンが、にっこり笑って、即座に答えたのが、
「マクドナルド、セヴン―イレブン、ファミリーマート、
レッドロブスター・・・・・行くところは、幾らでもあるさ」、
と言っている。
。
当時、ヤンデンマンも、これは冗談のつもりで云ったのだろう。
が、2012年の現時点では、冗談でも笑い話でもない
現実社会の姿となり、 それどころか、
それらの職場さえも、就職困難な買い手市場となっている。
★ ★ ★ ★ ★
今回(11/2の時点で)田中文科相が不認可とした3件の
4年制大学の新設案の関係者は、これまでに注ぎ込んだ
金が無駄になる、などと文句を言っているが、
日本の大学教育環境が完全に
ユニバーサル段階になった現在でも、一旦大学が出来ると、
其処の学生1人につき、我々一般国民の納付する税金、
数十万円が注ぎ込まれることを、どう考えているのだろう。
私の納付する血税が、 分数の計算も出来なければ 、
ローマ字を読めない大卒を作る、 遊園地もどきの
大学に、何故むしりとられなければならないのだろう。
私は2日の田中文科相の発言に賛成で、
既存の大学でも廃止する行政措置、もあるべきだ、と思う。
そのためには、これも2日に田中文科相が云っていた
ように、設置審の組織の再検討が必要である。
参照:
▲ 大学設置認可問題(1):[A-160][2012/11/4]
▲ 大学設置認可問題(2):[A-161][2012/11/10]
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