文化の日に林子平を想う

前回、幕末の18421868年に至る開国事情を書いた、:
     ▲ 幕末の開国事情:[C-262]
そこで紹介した有能な人々の働きの前提として、
  その一時代前に、舞台を用意した人の働きがあった。

その一人、林子平(六無斉の号で知られる)、は、
       長崎への遊学により、外国の脅威を痛感し、
  「三国通覧」を著した。 これは朝鮮、琉球、蝦夷の状況
  を述べたものだが、その二年後の1791(寛政3)年に
  「海国兵談」を著し、内外の情勢を述べ、日本を
  海外の植民地政策から守るための、海軍力の増強
  などを提言した。

前回記事に書いた、1853(嘉永6)年と翌1854(7)年の
  ペリー来日の時に、ペリーは通商を求めるに当たって
  小笠原諸島を米国領に組み入れようとしたが、
  小笠原諸島は、ドイツ・フランスで日本領として発表
  されていたので、ペリーは断念した、経緯がある。
  林子平の「三国通覧」が、60年後に小笠原諸島を
  救ったのだった

1792(寛政4)年に、林子平は老中松平定信に謁見し、
  海防の必要性を説いたが逆に、「民心を紊るもの」
  として、発刊中止、仙台藩にて蟄居となった


この時に自嘲して詠じた歌、
  (親もなし、妻なし子無し、版木なし、
              金も名けれど、死にたくもなし)
  が、六無斉の号の由来である。

蟄居となった子平は、一室に端座して一歩も出ず、
1793年7月28日(寛政5年6月21日)に亨年56歳で亡くなった。
林子平の主張が正しかったのが明かになるのは
  半世紀の後である。   現代でいえば
     ▲ 稲むらの火と古賀茂明:[C-260]
に書いた古賀茂明を連想させる人生であった。

     ★ ★ ★ ★ ★

昨日11/3は文化の日で、例年通り叙勲や褒章授与
  ニュースが報じられ、我々老人グループの面々は
  例年通り苦々しい思いで、それを見ていた
  その思いを、昨秋は佐久間氏が
   ▲ 2010秋の叙勲と褒章(1):[B-140]
   ▲2010秋の叙勲と褒章(2):[B-141]
   ▲2010秋の叙勲と褒章(3):[B-142]
を書いたが、今年はもう誰も書かない。
  それで、 敢えて私が逆記事を書くならば、

古賀茂明氏は、今後の生涯で叙勲、褒章を受けることは無い
  と予想できる。 また、東日本大震災で初めて明らかに
  なった、何人かの先覚者、災害の予告、警告の発言を
  無視されたり、それゆえに辛い人生を強いられたり
  した人々も、今から遡って表彰されることは無いだろう

それでも林子平は、業績が必ずしも正当に語り継がれは
  しなくても、六無斉の号だけは残ったからまだましだろう。
  浄運寺の開基上人のように名前も消失したり、
  原田甲斐のように逆に汚名を着せられたり、
  ということが、世間ではよくあるのだから。: 
   (▲浄運寺の開基上人:[A-142])、を参照されたし

     ★ ★ ★ ★ ★

現在の我が国が直面する国家財政ピンチの大問題の前では、
  文化の日の叙勲・表彰諸行事の経費、数百億円などは
  大した額でないかも知れないが、額の多寡でなく
  「見当違いの出費という無駄」、を省くことは、
  是非行うべきである。

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