グル―と終戦の事情

人類の歴史を振り返ると、人類は有能な人達を然るべく処遇し、活かしてこなかった。 このことについて、前回記事:
稲むらの火と古賀茂明:[C-260]
の中で
   ▲ 「再審決定」、:[C-56]、
   ▲ 感度の有無(4)民主主義:[C-130]、
   ▲ 感度の有無 (8):人類の限界:[C-137]、
   ▲ 日本人と先見性:[B-158]
などを引用しながら述べた。
残念だが、人類という生物の限界であって、仕方のない
    ことかもしれない、と前回記事には書いた。
が、若しもその通りならば人類は進歩してこなかった。
現実には、有能な人達の力が実って、現在に至った
  のだが、その功労者が、然るべく評価されていない


そのようなことを考えている処に、新聞の書評が目に停まった。
 「グル―、真の日本の友」(広部泉著、ミネルヴァ書房)
の書評が、9/4の毎日新聞に載っていた。

日本の国のために立派な業績を挙げながら、その後忘れられている例ならば、
  ▲「縁」に就いて(4) 中山正男:[B-48] 、
  ▲終戦62年と柳澤恭雄氏の死:[A-62]、
のような人も居たし、国全体でなく、もっと小さな組織でも同様な事が起きるのを、
  ▲歴史認識(2):[A-13]
にあるY君の大学の例、でも見られる。

これらに対して、グル―は著名人であるのに、業績を正しく認識されていない。

  ▲66回終戦記念日:[C-256][2011/8/15]
の補足の意味もあるので、新聞書評の概要を此処に記録して残す。

     ★ ★ ★ ★ ★

日本大使を十年近く務め、日米戦争回避に懸命の
  努力を重ねながら、『真珠湾』に至ったグル―は、
  開戦による帰国後は、米国内で大きな影響力を持った。
国務省で三十年代の極東政策を牛耳っていた
  S.ホーンべックは、日本が勝ち目のない対米戦争を
  開始するなどあり得ないと断じつつ対日強硬論を説いた。
それに対しグル―は、「国家的な腹切り」として
  日本が対米戦に入ることもあり得ると、米国政府に
  警告し、開戦奇襲攻撃に可能性さえ打電していた。

不本意な破局は、対日認識に関するグル―の
  ホーンべックに対する勝利であり、グル―は
  最も人気ある凱旋大使となった。
1944年春、米国国務省の戦後計画委員会が
  天皇制廃止に傾きかけたときに、グル―極東局長が
  介入し、天皇制を廃止すべきでない、と方針を変えさせた

1945年に国務次官に復帰し、ヤルタの密約と原爆予定
  を知った。 日本と日米関係を深く想うグル―は、
  この二つの悲劇の実施なしに終戦を齎すために、
  五月下旬に、大統領による対日声明を提唱。
  戦後日本が平和で民主的な国になるのなら、
  立憲君主制を認めると、日本国民に告げよう。
  それにより、日本国民に武器を置かせよう、
  との提案である。 それがポツダム宣言に繋がる。

もしグル―が対日声明に向けて力強く動かなければ
  ポツダム宣言は無かったのではないか。
ポツダム宣言が出され、広島原爆が投下され、ソ連が
  参戦してもなお、降伏しようとしなかった日本陸軍
  であり、意思決定が難しかった日本政府である。

もしポツダム宣言がなければ、あの時点での終戦はなく、
  本土決戦に突入したであろう。 こうしてみれば
  グル―こそ、戦後日本を決定的に支えた人物である。


グル―は、豊かなボストンの名門実業家の子に生まれ
  グロトン=ハーバードに学んだ。
この新聞書評の最後に、「天はなぜこの人を日本に
  与えたのであろうか」と書かれている。

今までに何度か書いたことだが、1945年の終戦が
  ごく安直に行われたように思っている人達には、
  ぜひともこの本を読んで貰いたいものである。

この記事へのコメント

Alps
2011年10月04日 10:25
歴史上の事実の裏には必ずその舞台を演出した人物のいることを又しても知らされた。唐突に「脱原発」などという薄っぺらな人物とは次元の違う、深い洞察の出来る人物は世界をも変えるものだとしみじみ思う。

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