65年間の回想(1)

65年前の終戦の後の、険しい時期の回想を綴ってきたが、
   それに続けて、 その後の平和な日本での
     私の人生の想念を、書き残しておきたい。
老年になった今、振返ると、いろいろな波乱も、僥倖も、
   不運もあった後で、現在の生活が出来ているのは、
   幸せで、恵まれた人生だった。
   危険がいっぱいの路を、僥倖の連鎖のお陰で、
   怪我せずに歩いて来た。
それを思うと、今回些か不愉快なことが有ったが、
   これまでの幸運を思えば、 我慢しなければと、
   人生を振返った記事を書き残そうと、
   思いついたのである。

この様な考えのきっかけとなったのは、
   自動車運転免許証を、放棄せざるを
   得なくなった
、ことである。
   全くヒドイ資質の人間に運転免許証が付与
          されている現実があるのに、
   極めて優良な運転者である私に、運転免許を
   呉れないで、生活に不便を生じさせるのは、
   不条理ではないか、との思いを、忘れるための
   方便である。

行政が科学的であるならば、私の運転技量には、
   今回も免許証を発行されるべきものであった
   ことを、一応、 此処に書いて置く。
           その根拠となる理屈
     ▲ 「MTBF」 : [C-10]:[1978/3/15]
     ▲ 感度の有無(5)交通警官 : [C-131]
に書いたとおりである。

私は半世紀の運転経歴を無事故で通してきたし、
   現在の様子では今後も当分の間、大丈夫
   だろうと思っている。
   しかし、現行の免許証書換え手続きでは、
   今回は視力検査で不合格になり、免許証の
   継続手続きは認められないだろうことが、
   確かなので、 諦めたのである。
   現実の視力は道路標識など見るのに支障
   もないが、現行規則が不適切で、
   、私はぎりぎり不合格、になるのだ。
     「警察の科学化」 [C-53]:[1980/7/26]]
に書いたとおり、 文明国でならば、私は、
     「飲酒運転許可証」、 だって
   貰える資格が有る。
 
むかし、ヤンデンマンが、 「運転免許は、独仏
   などのように、無事故である限り、終生のモノ、
   とすべきだ」、と主張していたのが、合理的である。
   日本も同様ならば、私は今後も運転を
   続けることが出来た。 しかし、
日本に生れて住んでいる不運で、今後は
      車もバイクも運転を出来なくなる。

 従来の免許証更新で必要だった、老人講習会
   に行くと、途方もない運転下手が、受講料を
   教習所に納めただけで許可証を取得する
   のを見た。 講習会なるものが、警察利権
   のためのモノで、 本当に形骸化している
   のを見て、不愉快だった。

国から独立して公的な事業を行う、「特別民間
   法人」、は38法人有るが、それらの常勤役員
   の約半数は天下りである。 その中でも、
   警察庁所管の、「自動車安全運転センター」
   は常勤役員6人が、全員天下りである。
   老人講習会で義務的に買わされる 数冊の本、
    免許更新のために、 文句を言わずに買うが、
    誰も読まない本も、このセンターの資金源、
   になっている。

  この様に、運転免許授与が警察の利権
     となっていることが、 ヤンデンマン
     (山本七平)の指摘するように、先進国と違って
     日本では免許の更新を要求される原因である。
        (医師免許は終身、なのに


でも、世の中には、他省庁の利権のために行われ
  ている不愉快なことも、いくらでも有るので、
   黙って堪えていた。
   しかし、その様な事実が一方に有りながら、
   桁違いに安全な運転者である私が、
            運転免許を得られないのは、
   全く出鱈目な制度だ、
   と思うので、ここに書き残して置く。
 
渋滞や事故処理で停車している車列に追突、
   するような無茶苦茶な運転をする人間に
             免許証を与えていながら、
   絶対にと言っていいくらい事故を犯さない私
             からは免許証を取り上げる
   現在日本の社会システムに腹を立てたのだが、
   もっと不条理な目に逢った人が大勢いる。

考え直してみれば、戦争に反対しながら、
   戦争の犠牲になって死んでいった栗林中将とか、
   その他多くの不本意な生きざま、死にざま、を
   強いられた人もいる。 赤紙一枚で人生を
   破壊された人もいる。
 その人たちに比べれば、マフィアに監禁されながら生還したり、
   深夜、無人のイサカの森林の中に放り出されても、
   無事に済んだ、などの僥倖を私は神に与えて頂いた。
   それらの幸運を思えば、
   運転が禁じられたくらいのことは、大したことでない
   その恵まれた幸運を思い返してみようと、考えた次第。

この記事へのコメント

Alps
2010年05月15日 10:55
私も免許更新時期になると、眼科で視力検査をし、必要ならば眼鏡のレンズを換えてぎりぎり通っているのが実情です。
免許更新に過去の運転実績が何ら考慮されない不条理さを感じているのはご同様です。
運転免許の講習中は必要以上にノロノロ運転をし、免許取得の途端に暴走族化して大事故を起こしたりする例がひきもきらず又、事故を起こさないまでも、危険運転の場面に遭遇するたびにいつも、免許の付与に就いても更新条件についても何らかの基準や考慮がなされないものかと何時も思っています。
変人キャズ
2010年05月16日 09:02
眼鏡でカバー出来るものと、出来ないものと、視力低下に種類があることを初めて知りました。 今まで眼鏡に無縁だったので。 現在でも、電車・バスの中で眼鏡なしで週刊誌などを読んでいるのですが、免許更新には僅かに足りないようです

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  • シューマッハーの予言

    Excerpt: 白いキツネたちのことを書いている晩秋ブログ: ▲ 終戦秘話と現代(3):[L-104] を読んで、思い出したので、白いキツネ・「尾関修」氏    のことを紹介する。 私が今迄知らなかった、こ.. Weblog: 変人キャズ racked: 2012-09-30 15:58