「浅田常三郎」を読んで

人知を超えたところで、我々のすむ世界を動かす力が働いているような気がしてならないことを、以前に、
  因縁?、仏縁?、分る事、分らぬ事
に書いたが、ピアニスト君も
  「出逢い」に想う(2)
に同様なことを書いている。
今回また、その思いを重ねた。   というのは、

今春出版された、「町人学者・浅田常三郎」という本

 を読んで驚く事が多かったから:
 {「町人学者・浅田常三郎(増田美香子著、毎日新聞社)}

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浅田は1900年生まれの物理学者で、高名な長岡半太郎の高弟であり、
阪大教授として多くの人材を育て上げた事は良く知られている。
然し、ソニーの盛田明夫が浅田の弟子であることは、私は知らなかった。

盛田は第八高等学校を出てから、浅田の薫陶を受けるために阪大の物理学科に進んだ。

旧制度の時代には高校に入学した者は大学は大抵何処でも行けた。
現在の、肩書きのために東大を目指すのが普通の時代には理解し難いかも知れないが、特定の教授の存在を理由に、進学する大学を決めるのは、その頃は普通に行なわれていた。
Y君の様に正田健次郎(美智子皇后の叔父)の抽象代数学の講義を聴きたいので阪大に進んだとか、同じ数学好きでも藤原松三郎の関数論の講義を聴きたいとの理由で東北大学に行くとか、いった大学選択が、当時は多く行なわれていた。
盛田の進路決定は、別に特別に異常なことではなかった。

私が驚いたのは、 盛田に助言を与えて、
   浅田の弟子になるjよう、その進路決定をさせたのが、
   服部学順氏、 であった
 のを、
この本で知ったからである。


盛田氏は井深氏と共に世界のソニーを作り上げた。
盛田氏は、浅田の薫陶を受けて資質を磨いただけでなく、
 会社のピンチに際して3度まで、浅田の助言と指導を受けて、それを乗り越えている。


そのため、1984年に浅田が亡くなった時には、既に世界に冠たる大会社になっているソニーの最高指導者の盛田氏が、
これから先、会社に何か問題が生じた時には誰に相談したらよいのか、と
 おろおろし、嗚咽しながら、葬儀委員長を務めたという。



あれだけ多くの有能な弟子を育て上げた浅田教授だから、
 弟子の一人である盛田が大変に強い影響を受けても不思議ではない。
が、盛田氏にその道を選ばせて、日本にソニーという企業が産まれるきっかけを作ったのは、  服部学順氏であった。


その服部氏はその後、東京のD国立大学に移ったが、別段社会的に目立つことなく、生涯を終えた。
1969/7/6、に亡くなられたが、その前日、7/5付けで、D大學名誉教授の称号を贈られている。
近頃では大學名誉教授の肩書きの値打ちも低下して、残業代を貰えないコンビニの管理職くらいの感じだが、1969年頃にはまだ、国立大学名誉教授はそれなりの価値があったから、良かったと思う。

日本の国にソニーという会社が生まれる『きっかけ』を作っただけでも、
  大変な功績である。


学者として格別な評価もなかった服部氏、であるが、
  日本の社会に残した貢献の大きさは、
普通の大学教授とは比較にならぬ、大きなものであったのだから。


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但し、D大學が名誉教授の称号を贈っても、本当に服部氏の貢献を評価できていたかと言うと、
   それは甚だ疑わしかった。
というのは、 「ソニーの誕生」の他に、もう一つ、服部氏は
   自身の業績ではない「社会的貢献」
を現役時代にしているのだが、それを知る人は殆ど居なかった。
D大學の現在の在籍教職員、学生の中でも、殆ど皆無だと思う。
同大学で服部氏の同僚として在籍したY君でさえ、知らなかったのだから。

現在では医療関係者ばかりでなく、癌患者家族を抱える誰でも知らない者のないMRIに関係する話であるが、
その話は長くなるので、別記事として、紹介する。

此処でも、服部氏は自身の研究業績ではない「社会的貢献」をしているのだが、
若しも服部氏の存在がなかったならばどうなったか、と考えてしまう。

その人の業績、とは言えないが、若しも、その人が居なければ歴史は変わっていただろう、という場面で、適切な人物が居た、のである。
 ソニーの誕生に付いてと同様に、MRIの話に付いても、同じ「服部氏」である。

 この様にして業績は忘れ去られ、格別の評価もされなかった人の御蔭で花開いたMRIが、現代医学で非常に役立っているのも、「社会の仕組み」と言うものであろう。

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