変人の独り言

どう考えても私は変人である事に間違いない。それも10人に一人、100人に一人なんて物でなく、10万人に一人くらいの希少品である。 何故って、私の考える事、主張する事、希望する事、の全てが周囲の人達と必ず食い違うのだから

例えば、現在の日本では人間を一人殺しただけでは、たとえどの様な事情であっても、どの様な理由であっても絶対に死刑にはならない。 
私はこれはおかしいと思う。それだけでなく、若しももう少し刑罰が厳しければ殺人事件などはもっと減るのだと思っている。 

又、別な例として、最近は教育問題が喧しく論議されていて、カリキュラムだとか、ゆとりだとか、小学校から英語をとか、色々な提案が出されている様だが、私の意見では文部省(現在は名称が変わったが)を廃止する事が最も有効な教育改革の方法だと思っている。
 何故ならば現在改革しろと言われていることは全て最近半世紀の間に文部省が作った制度なのだから、根源を絶つことが最も効果的だと思うが、新聞でも雑誌でもこの様な主張を見たことが無い。
 


これを要するに、わたしの 意見は日本人の平均値から大変に外れたものであって、私は10万人に一人の変人であると言う事なのだろう。 併しながら私は自分が変人であっても、間違っているとは思わない。 コペルニクスだって当時の変人だった。 
日本に一億人の人が居るのならば10万人に一人の変人も1000人くらいは居るわけで、その人達とブログでコミュニケーションを取りたい。
但し、何でも良いから「変人」でさえあれば良い、と言うのでない。 例えば、数年前に変人を売り物にした男が総理大臣になって、本物の変人の私は大層迷惑を蒙ったが、例によって当時は大多数の日本人は彼を大層高く評価した。今となってはその男が、本物の変人ではなくて、単なるいい加減男である事が明白になった。 こんな程度の悪いのは御免である。

変人は格調高いものであって味噌くそ一緒にされるのは断る

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