変人キャズ

アクセスカウンタ

zoom RSS 2012年を振返って(3)

<<   作成日時 : 2012/12/30 18:44   >>

トラックバック 0 / コメント 0

私の友人のK君はD大学に助教授の職を得て
  赴任した時に、研究室がチームとして一丸となって
  一つテーマに取り組むことを提案した
 
  昔と違って、研究の質が変わってきた当時では、助手、
    技官、もそれぞれ個別にテーマを持って行動する
    のでは成果が上がらない、と考えたからである。
  人数も少なく、予算額も軽微な新制国立大学の
  実験講座の研究室では、K君の判断は当然なこと
  であった。

処がK君よりも先に研究室に籍を得ていたM助手
  これに反発して、各自個別の行動を、頑固に主張した。
  研究室の教授は好人物だが、研究には経験も
  見識もない人物だったので、この助教授と助手の
  主張の衝突には、口を出さなかった。 こうして、
  研究チームを纏めるための、K君の苦闘
                  が始まった。

当時の大学の恒として、K君の研究発表論文の発表者
  の名前には常に、 (実際上研究には何の寄与もない)
  教授の名前、が最上位に書かれていた。 
こうして2年ほど経って、K君の業績が少し世間の目に
  評価されて華やかになると、教授も対外的には
  自身の業績の様な態度で振舞うようになった。
当時の日本の大学ではこの様なことは別に珍しいこと
  ではなかったので、私は1960年代末の学園紛争の
     ある部分について、学生側に同情を持っている。 


M助手は教授とは違って、同様な行動は取れず
  研究室内で孤立し、苦境に陥った。

  彼は東大の大学院を受験した    面接した東大教授は、
  「普通は大学院を修了した者が、助手のポストを探して、
  仕事をするものだが、君は既にその職に在りながら
  大学院に入るのはおかしい」、と言って不合格にした。
  しかしMは翌年も再受験して、東大大学院に入学し、
  U大学の助手を辞職した。
山中伸弥研究室の高橋和利氏とは大違いだった。

     ★ ★ ★ ★ ★

M助手はU大学の卒業生であり、在学中からその大学の
  S教授の主催する遊興グル―プのメンバー、だった
  関係で卒業後にU大学の助手に残して貰った経緯がある。 
そのS教授の別な機会の行動は
  晩秋ブログ:▲ JICA業務縮減を喜ぶ(2b):[L-55]
  佐久間ブログ:▲「世間は狭い」を見て:[B-189]
  に書かれているので、その無見識さが分かるであろう。
M助手も、研究にだけ専念する研究室は嫌、だったのだろう。 

なお、Mは東大大学院を修了して後にS教授の口利きで
  再びU大学に着任し、組織いじりのようなことに精力を
  遣っていたが、K君とS教授が定年退職する寸前に、
  まだ若いのに急死した。 
私はそれを見ていて、何か超人的な力の存在
       を見せられたような気分になった。

     ★ ★ ★ ★ ★

U大学の件では、最初にK君がM助手と衝突した時に、
   教授が適切に対応してM助手も同一行動をするように
   説得すればよかった。
K君の仕事が社会的に注目を浴びて派手になってきたころ、
   ある日M助手はK君に向かって、
   「近頃は研究が賑やかで、愉しそうですね」、と云った。 
   K君は、「君も合流して一緒にやろうよ」、と云ったが、
   Mは寂しそうに笑うだけで乗って来なかった、という。
この時にもし、研究室の教授やS教授がMに、
   K君と一緒に研究することを勧めれば、M助手も東大
   大学院への受験を考えなくて済んだかも知れなかった。 
いろいろな事情から、私はMの死は自殺だったのではないか、
   と疑っているが、今となっては分からないことだ。

こうした日本の大学の実態、を知っている私は、
   山中伸弥教授は矢張り、運の良い方だと思うのだ。 
若しも高橋和利氏の代わりに、S教授にサポートされる
     M助手のような人物がその場にいたならば

  山中氏といえども成果を挙げ得たかどうかは
        分からないと思うのだ。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
2012年を振返って(3) 変人キャズ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる