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zoom RSS ハワイ旅行記

<<   作成日時 : 2012/08/15 07:57   >>

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今どきハワイに行ってきたといっても、昔の人が隣町に行ってきた程度の話題性しかない。 しかし、私にとって、今回の旅行は大層刺激に満ち溢れる旅であった。
45年前に初めての訪米の折に、ハワイに降り立ち、ワイキキの海岸でサーフィンを愉しんだ時のホテルに、孫どもと一緒に泊まる日が来る、とは考えていなかった。
その旅行の時、母親の友人だとか、家内の従兄弟だとか、途方もなく遠い関係の人達まで含めて田舎から多数の人が出てきて、羽田で見送ってくれた時に、今回同行した娘(上記の孫の母親)はまだ3歳くらいの幼児で、空港内の人ごみにおどおどした記憶があることを、今回初めて語ってくれた。
従来、漠然としか知らなかったハワイ王朝の歴史を今回は多少詳しく知ったのも感動したが、最大の衝撃は真珠湾だった。
真珠湾は、私自身は元より、孫たちも以前にも行っているのに、何故か今回は彼等の要望で一日かけての探訪だった。

     ★ ★ ★ ★ ★

アリゾナ記念館などに、老若男女の多数の米国人が詰めかけているのに、日本人は私どもの家族だけだったのが、戦中派の私には大変に衝撃であった。
私は、昔書いたブログ記事:
   ▲日米開戦70年(3):[C-267][2011/12/8] 
を見て頂くように、期待するだけである。

例年、終戦がらみの話題が多く語られる8月である。
特に今夏は、中国、韓国からのハワイ訪問者数が記録的に多いことが話題になり、日本からの旅行者数も従来を遥かに上回る、とのデータがニュースで報じられたりしていたのに、である。
彼等はハワイには行っても、我々戦中派の人間の全生涯を決定した1941年の出来事には、全く無関心なのだ。 米国人はあれだけ真剣に学習しているのに、である。
ミズーリ号なんて言っても、現在の日本人の殆どは名前も知らずに生活し、其処で齎された恩恵の平和を愉しむだけなのだろう。
アリゾナの艦体は今も1941/12/7に撃沈されたままの状態で、燃料オイルが漏れて浮き上がるのが見られるし、千数百人の米兵遺骸もそのままになっている。

私どもの行った日に見たあの多数の米国人の頭脳の中で、日本の国はどのように写るのだろう。
今夏記録的多数が訪れたというハワイへの日本人旅行者は、米国ではどのように見られたのだろうか。
嘗て、戦後の一時期に聞かれた言葉、「農協さんが行くようになるまでは、ヨーロッパでは日本人は尊敬されていた」、がハワイで再現されないことを祈るだけだ。

帰国して新聞、テレビを見ても、日本の国内事情は2週間前と何一つ変化していない。
政治家は次の選挙での自身の得票数以外には関心が無いようだし、メデイアは終戦関連の番組や、3.11の災害被害者の暗い話題よりも、オリンピックで騒ぎまわる方が遥かに楽だから、オリンピック一色である。
終戦事情を語るテレビアナの不勉強さ加減が見え透いて、本当に腹立たしい。
広島、長崎の原爆の話題は最低限の掘りの浅さでお茶を濁し、お義理を果たすだけである。

この様な国情が、国民の歴史認識を可笑しくして、我が国の評価を下げるのだ(▲ 歴史認識(1):[A-12] [2005/07/17]、参照)
 司馬遼太郎、松本清張などの掘り下げた、昭和初期の日本のメデイアのいい加減さが、21世紀のわが国の進路を、又してもオカシナものにするような気がしてならない。

     ★ ★ ★ ★ ★

体力の衰えのため娘夫妻や孫どもと一緒に行動することはとても出来ないので、ハワイ滞在中はホテルで大人しく過ごすことを考えて、文芸春秋7月号を持参して行った。
そこで「昭和天皇(最終回:聖断)、福田和也」を読んで、8月12日の阿南陸相に対し、天皇がポツダム宣言受諾に関して発言するなかに、「大丈夫だ、阿南。私には確証がある」、という一文があるのに、驚いた。
この辺の記述は従来も何度か読んだかもしれない。 しかし、今回はこの言葉の内容の重さが全く違って感じられた。 それは
   ▲硫黄島の暗号兵(3):[B-180][2012/7/20]
を読んだためである。
恐らく歴史の表面に現れない何かの事情があって、
米国内の最高指導者の意思・情報が天皇に伝わっていたのではないか。
そのように考えないと、このような断定的な天皇発言はあり得ないのだから。

 そして、その事実は未来永劫に明かされないで終わるのだろう。

私がそのように考える理由のひとつは、例の
   ハイゼンベルグの手紙の一件
があるからである。 これのついては、
   ▲ 人類滅亡論[3]科学の進歩による滅亡:[C-4]
に、[05/4/12]に書いたし、ピアニスト君がその解説を
   ▲ 広島原爆60周年(1) :[A-14]
に書いているが、結局日本人全体の知るところとはならなかった
その辺も含めての、前大戦の終戦事情については
   ▲ 第65回終戦記念日:[A-114][2010/8/15]
の巻末に紹介されている引用文献、を参照されたい。

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無言館、第二展示館
今年の夏も又猛暑だった。未だ残暑は続いている。八月十五日も暑かった。そのなかを子 ...続きを見る
cogito,ergo sum
2012/08/22 07:53

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内 容 ニックネーム/日時
現役時代ハワイはトランジットで通ったことがある。タラップを降りて首にレイを掛けてもらい暫時、外を眺める程度だった。
最終引退後は、00,02,04年の3回ハワイへ行っているが、主体はマウイ島で、ホノルルは通過点だった。しかし最初の2000年10月にはホノルルで2泊して、1日真珠湾を訪問した。話で聞くのと目の前の現実とは、ジェネレーションの差も有ろうが、イメージに描いていたものとは違った強烈な印象で迫ってくる。胸を厚くして言葉をなくしたのは今もまざまざ。
あれほどワイキキで騒ぎまくっていた若者も年配者の影すら見えなかったのは、キャズさんの記事の中の事実と同じで、歴史教育や平和ボケがあったにしても、忘却と言う言葉と共に、強い違和感を覚えたのを今も覚えている。
Alps
2012/08/20 10:31
Alpsさんがホノルルで泊ったと聞いていた、あの格式ある古いホテルに立ち寄って、飾られている旧い写真を見たりもしました。 また、今回は現地で、孫の在学する学校のサークル仲間と二人も出会って、驚きました。
変人キャズ
2012/08/21 02:39

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