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zoom RSS 60年前の回想(1)

<<   作成日時 : 2010/03/28 17:12   >>

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60年前の1950年、の春に、大学を卒業した私らは大変な就職難で、
   クラス中の殆ど全員が、職もないままに
                   社会に放り出された。


企業というものは不況下でも将来を見据えての人事構成のため新卒者を手当しておくのが常識だった当時は、
   1945年の敗戦以来、会社に仕事はなくても、
   ある数の新入社員を、我慢して採用することを続けていたが、
   流石に、毎年新卒採用数は減り、
   遂に軒並み、採用者ゼロになったのが、この年であった。

最近数年の大卒者求人の変化を見ても、
     年次による運不運、 は見られるが、
     あの頃の急変とは、比較にならない。

例えば、1945年までは、理系の再優秀な人財は競争して、
    造船や航空工学の分野に行き、 能力を発揮するのが常識であったが、
   1946年以後は、 この分野は仕事が完全ゼロになったので、
   それらの専門分野の就職先は皆無で、
   小学校の先生になれれば超ラッキー、という状態になった。

工学部で電気工学を専攻した私どもの仲間も、
  殆ど全員が職もないままに、1950年3月に卒業免状を貰い、
  その日の謝恩会で、学科主任教授が、 涙を流しながら、
「私共の非力のため、卒業生諸君を無職のまま社会に送り出すことになって
              申訳ない」、と、詫びて挨拶し、
  学生たちは先生の責任ではない、と言って慰め返す有様であった。

ところがその6月に、朝鮮戦争が勃発し、世の中の景気が一気に改善して
   翌年(1951)の大卒は、全員完全に就職できるようになり、
   更にその二年後(1953)の世代は、生涯を通じて社内で活躍して、
       華の二八組、と言われた。

二八組から見れば、その上の数年間は、会社の
   新卒採用手控えで、社員数が極端に少なく手薄なこと、
   その更に上の世代は、戦死したり、入社しても業務経歴はゼロであり、
 景気の回復の世相の中で、実質上企業を動かすのは
     彼らの思うがままに出来たのだから 、
   新入社の時点で、役員として採用されたようなものであり、
   その後の高度成長の経済環境の中で、
  企業幹部になった者が多かったのは、当然であった。


★ ★ ★ ★  ★ ★ ★

このような時代の変遷に、私らは、
     人間の運、というものを多く見せつけられた。

進学に失敗して、1951に卒業した者は、
   スムースに進学して1950に卒業した中学校の同級生と違って、
   専門とする分野での就職が出来たし、
更に浪人を重ねて1953に大学を卒業した者は社会に出て
   希望する企業での幹部となり、恵まれた人生を送った。

中学校の進学率が5%位であった時代に、旧帝国大学の卒業生が
   このような有様であったのが、僅か60年前のことである。
大卒者、史上初めての低就職率、などと新聞紙上に書いてあるのを見ると、
   現在のメデイア人は不勉強だなあ、と呆れるだけである。
      分数の計算も出来なければ、ローマ字も読めない若者に
       大卒の肩書を与えている現在の大学とは違って、
選ばれた者が懸命に励んだ時代の、あの厳しさと比べて、
     これだけ恵まれた職業選択が出来る現在の社会で、
     なお、何を望むというのだろう。

今の若者は、不本意に戦場に駆り出されないだけでも、
     我々の世代よりは幸せである。
そして我々だって、戦場で散って逝き、学窓に帰れなかった同級生たち
     よりは、幸せな人生なのだろう。

20年ほど前の超売り手市場の求人社会で、
   本当には就職する心算のない企業にたいし、
   曖昧な態度を示すだけで海外旅行をさせて貰い、
   実際に就職するのは別の企業に行った学生を多く見ていて、
Y君は、自身の大学だけは、学生にそのようなことをさせないように、
と専門の研究を放棄して、就職担当教授を引き受けて格闘したが力及ばず、
  不本意な目に逢ったことは、我々仲間のブログで何度か書かれている。
      ↓     ↓     ↓
  ブログ開設一年、{4}NHK問題:(2)
             :[B-37] [2006/04/19]  :参照、


そのY君が、1945の爆撃で死んでしまっていた方が幸せだったかも知れない、
   などと漏らす気持ちも、分かる部分がある。

注:四年制大学の就職率調査を文部省が1950年に始めたのであるが、
その年は63.8%という数字になっている。 これでも記録上の最低であるが、
それは大学での勉強を活かすということでなく、理学部卒が闇食品ブローカー
を始めたとか、工学部卒が現在の自衛隊の前身である警察予備隊に入隊
したとか、給料に有り付いた人数という意味であって、
現在の就職の概念で、理解してはならない


            ★ ★ ★ ★  ★ ★ ★ ★
◎「60年前の回想」、記事リストと、 ◎異種・同様なリスト、 の紹介が、
▲[C-211][2010/4/27] 60年前の回想(9)     の文末にある。

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内 容 ニックネーム/日時
シューシャインボーイ、という映画を御覧になりましたか。
終戦前後の数年間を生活体験として、人生に刻み込んでいる人でないと分からない会話が散りばめられている、浅田次郎原作の名画です。
晩秋
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2010/05/30 02:44

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