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zoom RSS 仲間の出合った人達:(2) 野間口光雄

<<   作成日時 : 2006/07/07 20:55   >>

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私の仲間は全て、かなりドジであり、本当に願ってもない、素晴らしい人との出会いを無駄にした経験を、全員が持っていると、前回述べた。
司馬遼太郎氏の誘いを無駄にしたピアニスト氏の記事を引用し、それから内藤多仲氏との貴重な時間を無駄にしたY君のドジ振りを書いた。
ついでだから、もう一件、Y君のドジの話を紹介する。
それが、今回の野間口光男氏の話、である。

第二次世界大戦中に、ドイツとの連絡に行った日本の5隻の潜水艦の中、奇跡的に撃沈されずに日本に戻ったのが一隻。 シンガポ−ル迄戻ったのが、1隻ある(吉村昭「深海の使者」文春文庫1976、p.293)。
その潜水艦もシンガポ−ルから日本に向うところで撃沈された(p.50)。
野間口海軍少佐はその、伊号第三十潜水艦に乗って居た(p.18)が、シンガポ−ルで下船して、飛行機で内地に帰国して、生き延びられたのだった。


旧制第一高等学校から東大に進学した経歴を持つ超エリートであった野間口氏は、何か特別な連絡任務のため、その様なことになったのだろうと想像される。
この事だけでも、大変貴重な体験である。
しかし、野間口氏はもっと貴重な情報を所持して居られたのだった。


   -------------------------------------------------------
★1960年代のある日、野間口氏はY君を訪ねて、大学の彼の研究室に現れた。
 野間口氏は、初対面のY君に挨拶する時に、一言だけ上記の潜水艦での帰国のことをさらっと述べたが、ドジなY君はそれを聞き流した

遥か後になって、1984年のある日、Y君は当時良く読まれていた科学雑誌『自然』に野間口氏の名を見て、アッと声を上げた。
20世紀最大の物理学者の一人、有名なドイツのハイゼンベルグの話が、その時、読んでいた雑誌『自然』1984/2月号に、載っていて、正に、その為にY君はこの雑誌を見ていたのだった。
その記事は、理化学研究所の仁科博士と、野間口氏に宛てたハイゼンベルグの手紙の行方の、謎めいた話が主題であった。

アメリカの原爆開発の経緯は良く知られて居る通り、
アインシュタインや、フェルミなどの亡命科学者達が、ルーズベルト大統領を説得して原子爆弾開発のいわゆるマンハッタン計画を発足させたのが発端であった。
アインシュタインや、フェルミ達は、ドイツにハイゼンベルグが居るため、ドイツに原子爆弾開発を先を越される恐れが有ると心配したのが、動機であった。



当時の戦況では、同盟国と言っても日本とドイツは、直接連絡の途はない。
ハイゼンベルグは野間口氏と親しいので、仁科博士と、野間口氏自身に宛てた手紙を潜水艦に乗る前の野間口氏に渡したことが、この1984年の雑誌『自然』の記事を書いた人物の調査に依って明らかにされたのであった。

この記事を書いた人は、ハイゼンベルグの手紙に何が書かれていたかに非常に興味を持っているが、如何せん、ハイゼンベルグは元より、野間口氏が既に(1971年)亡くなっているので、どうする事も出来ない。

そもそも、野間口氏が潜水艦をシンガポールで下船した時に、手紙を持って降りたか、どうかさえも分からないのである。

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Y君が野間口氏に来訪して頂きながら、ハイゼンベルグの話を聞き損ねたのは、取返しの付かぬ大失態であった。
『自然』を読んでいて、アッと声を上げた時では最早、取り返しは付かなかった。
初対面の時に、野間口氏が戦争中にドイツからシンガポ−ル迄潜水艦で、戻ってきた、という話をされた時に、Y君に相手の話をきちんと聞いて受け止める態度が、欠落して居たから、問題の手紙の件を聞く機会に恵まれ乍ら、それを逸した。

それどころか「ハイゼンベルグの知遇を受けた人物が、知合いに居た」だけで、大変な名誉なのに、野間口氏がそのような経歴の持ち主と知らずに、後で室内を整理していて、氏の名刺まで廃棄してしまった。
Y君は後に、野間口氏から頂いた直筆の年賀状が出てきて、感動で、涙が出るような思いがしたというが、何ともドジな話ではある


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補注: この『自然』の一件の後に、Y君は武藤時雄氏から野間口氏の話を詳細に聞いた。
武藤氏は、(吉村昭「深海の使者」文春文庫)pp.85ー86、pp.318ー325、に説明されている友永英夫技術少佐と、第一高等学校の同級生で、野間口氏の1年上級であった。

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