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zoom RSS 私の独り言{前置き[3a] プライオリテイの尊重事件}

<<   作成日時 : 2005/04/23 21:56   >>

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昔の日本では、若い人が苦労して挙げた成果を上司の手柄にされて、その上、報酬面でも全く報いられない、等の不合理も多数有りました。 

100 %自分が書いた本を、先輩の名前で出版されたりする、等のこともありました (私自身も経験有り)。
昔の日本の社会では可也有り触れたことでした。
「プライオリテイ」の尊重が無かったのです。

科学技術の分野でも、メーカーの若手社員が研究成果を得て論文を書いた。 社外発表の許可を求めて、原稿を係長に見せると、係長は著者名に自分の名を加えて、それを課長に渡した。
課長も同様に、自分の名を書き足して部長に。
部長は自分の名前を加えた上で、著者の人数が多すぎるからとの理由で、若い平社員(原稿執筆者)の名前を削除した。 

この様な話は良く聞きました。  現代の若者ならば簡単にぶちぎれて、大騒ぎでしょう。
しかし昔は違いました。 若者は社内的な立場を安定にし、収入を確保して生き延びるための智恵、として我慢しました。
昔と言っても、僅か30年くらい前までの事です。


勿論、昔だって全ての人間が、温和しくそれを受容れた訳では有りません。
でも、それに文句を言った人物が所属組織や同業者社会(ムラ)から弾き出されて、野垂れ死んだ話が多く有りました。

{逆に、野垂れ死に寸前に、国際的な大きな賞を貰って、そしたら逆に、ムラの方が沈黙してしまった、有名な(例外的な)例が、一つだけ有りました。
その時には、ムラのボスが、野垂れ死にました}。


でも普通は、俺が部長になったら、部下にあのような事はしまいと心に刻んだ人も、
巧く立ち回って、早く搾取する側になり甘い汁を吸ってやろうと考えた人も、
共通して同様に、我慢して居たものでした。



前置き[2]に書いたY君も、助教授の時代に上司のT教授にその様な扱いを受けていました。
しかし彼は、それに不平を持ちませんでした。
職を得るのが難しい時代に、助教授のポストを与えてくれたT教授に、恩義を感じていたからでした。

毎日夕刻にサラリーマン的なT教授が帰宅した後で、深夜まで研究に頑張るY君を、隣室のH教授は高く評価していました。
正義感の強いH教授は、「プライオリテイ」の尊重、に拘る人でした。
H氏は、Y君の書く研究論文の第一著者が、毎度T教授の名前であるのを、怒っていました。 

「T氏は何も仕事をしないのに、学者として許せない」、と憤慨したH教授は、Y君に焚き付けてH教授と喧嘩せよとアジッタのでした。
しかし、T教授に「採用して戴いた恩義」、を感じていたY君は、応じませんでした。


その後暫くして、研究グループの成果を、研究室に滞在する客員の外国人の、(それも単独の)、名前で論文発表させることを、T教授に求められた時には、Y君は断りました。
そのインドからの留学生は、研究への寄与が全く無かったからです。
インド人は、実験には参加しませんでした。

何か、インドでは社会的身分の関係で、彼の様な偉い階層の人間は、手を使う仕事をするのは出来ないのだそうです。
研究室の出入りも、ドアーのノブに手を触れることをしない、このインド人のために、毎度Y助教授が、ドアーボーイをさせられていました。
当然、研究のアイデアを出す、とか実験装置に触るなどは全く無いことでした。


こうして生れた研究成果を、そのインド人が無断で、単独名の業績として、米国の一流の科学雑誌に発表してしまったので、Y君はぶち切れたのです。



実はその雑誌に論文が掲載されている事実を、Y君は知らなかった。
それを 「プライオリテイ」 の尊重に敏感なH教授が発見して、Y君に教えたのでした。
H氏の勧めで、Y君はその米国の雑誌の編集者宛に、手紙を書きました。
「あの論文は盗作であり、投稿名義人の仕事ではない」、と。

Y君がその様な手紙を、書いていることを知ったT教授は、Y君に言いました。

君の業績が盗られるくらいのことは、大したことでない。
 しかし、インドと日本の国際関係に、マイナスが生じる事は、遥かに大きな問題である。
 雑誌編集者宛に、手紙を出してはならない
、 と。

「プライオリテイ」の尊重に関わるこの一件で、遂にY君は、T教授に盾突いたのでした。

これが{{前置き[2]}}に書いた、Y君と上司T教授とのトラブルでした


最近では、会社従業員の業務発明も、社会的には権利が厚く認められて、青色ダイオードの発明者に、百億円単位の報奨金を払え、との裁判所判決、が出たりします。
「プライオリテイ」の尊重、に関わる社会常識も、変わったものです。
 
徳川・明治・大正の時代でなく、戦後昭和の後半でも未だ、報奨金どころか、 発明の名義人になる事さえも、困難だったのでした。
(発明者名は社長で特許が出願されました)。


この様な社会であったことを、現代の若者は知らないでしょう。


「一戦中派の感慨」、として 「二人のピアニスト」 さんが陳べているが、
半世紀前の戦争を知らない若者の、 無頓着な発言を耳にすることが、しばしば有ります。

そういう時、この人達は幸福だなあ、と祝福してあげたくなると共に、 せめてもう少し、「君たち自身の幸せさを、自分でも承知していて貰いたい」、と思います

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
今晩は。上記の記事は考えさせられるものがあります。

拙ブログでのコメントにも書きましたが、このインド人を増長させたのは明らかにT教授の姿勢ですね。
ただ、このような教授はインド人に限らず、他の外国人でも内心は軽く見られていると思いますよ。相手に合わせるだけで自己主張ゼロのお人よしくらい、チョロイ相手もありませんから。
この類が、簡単に異文化の相互理解など言い出すのでしょうね。
mugi
2006/09/17 21:22

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